みなさまご存知、アニメ・涼宮ハルヒの挿入歌である「God knows」という歌になぞらえた、謙光のお話をします。もともと好きな歌ではあったんですけど、聞いていたらなんとなく、準決勝終了後の財前くんから謙也くんへの歌のような気がしたので、ちょこっとご紹介にあげてみました。ハルヒファンのみなさますみません!歌詞には上記リンクから飛べます!汗)
今までも日記で何度かお話したことがある気がするのですが、モチ子は財前くんが謙也くんへの恋を自覚した瞬間、というのは、準決勝のD1戦直前、まさに謙也くんがレギュラーを千歳に譲ったあのときなのではないかと思っています。いつも賑やかしく喜怒哀楽を表に出しては、財前くんが表面上鬱陶しがったり皮肉を言ってもぜんぜん動じた気配もなく単純に、率直に生きているはずの謙也が、あの「お膳立て」の瞬間、財前のことも誰のことも見ずにすとんと表情を落っことした顔でベンチに入るのを見たとき、ふってわいたように唐突に、「ああ、俺、この人のこと好きやったんやなあ」って思ったらいい。それだけの引力があのシーンにはある!気がしている!
謙也くんは足先から頭のてっぺんまで兄貴属性で、空回りも多いけど面倒見はいいし、ちょっとやそっとじゃ人のことも何のことも諦めたり投げ出したり卑屈になったりせず、なんでも身ひとつで向かい合おうとすることができる子だと思うのですが、そんな彼は自分自身に何か思うところが出来た場合は、人に相談したり頼ったり、弱音を吐いたりする、ということを絶対にしなさそうです。そういう自分の中のどろどろとしたものと向き合っているのを見られるのが、無意識下でものすごく嫌そう。謙也には、自分に何が起ころうとも、「自分で何とかできるから放っとけや!」って周囲の人間にスパッと言っちゃうような、若さと勢いと傲慢さを感じます。優しさが他者に向いたときにはいくらだって心が広くなれし、3枚目にもイジラレキャラにもいくらだってなれるけれど、ベクトルを自分に向けたときには、ものすごく視野が狭くて頑なで意地っ張りな子だったらもえる。白石がわかりやすくプライドの高い子ならば、謙也はわかりにくくプライドの高い子なんじゃないかな。甘えベタの見栄っ張り。長男だからね!困っている人や弱いものに対してはどこまでも透明になれる柔軟な強さがあるのに、自分を御す、という意味合いではどこか子供っぽく、我が強くなっちゃう謙也くんはかわいいと思います。意外にそのあたりは侑士と似てたりして。ちなみに蛇足ですが白石は甘えベタなんじゃなくて、そもそも甘えるっていう選択肢がない子。
反対に財前は末っ子なだけあり、ある程度打ち解けた相手には、甘えたりわがままを言ったりするうまいタイミングを、本能レベルで知ってそう。使いこなすとまではいかないけど、決定的なヘマまではしない、愛嬌とチャッカリさがありそうです。謙光っていうカップリングを考えるのに際し、ふたりの価値観がデコとボコ、ってかんじでわりかしぴったりくっつく気がするのは、こういうところで均衡が取れてるからなのかなあと思ってます。言葉の足らなさや認識の齟齬でぶつかったりすることはあれど、根本的なところではバランスが取れているふたり。相性がいい。
さて、そんなふたりが先天的な相性を踏み越え、パートナーとして(恋人として?)もう1段階の成長を遂げるのは、上記の生まれ持った性質をも踏み越えて、謙也が甘えることを知り、財前が甘やかすことを知るとき、だと思います。わたしはぶっちゃけ、財前のほうがこれに先に気が付くと思う。純粋に、自分自身を見つめるという意味のベクトルに関しては、財前のほうが客観的な視野を発達させているからです。そしてそのきっかけになるのが、1番上でゆった「お膳立て」のところだと思う。だって財前くんが1番、謙也の努力とか気合とか情熱とか試合に賭けてたものを近くで見てきたはずなんだもの。だいじょうぶなはずがないのに、笑って譲ることの出来るものではないはずなのに、敢えてその場面でいつものような笑顔でなく無表情を選んでしまった謙也くんに、財前くんは謙也の至上の強さと、裏返した場所にある脆さと弱さを見出すんじゃないかしら。試合が終わり、財前が寄っていっても、謙也は「何も言わんで勝手に決めてすまんかったな」、みたいなことは言うかもしれないけれど、深い意味での追求からはわかりやすく逃げちゃうような気がします。千歳相手だと余計にそういう反応が顕著かもしれない。サイト掲載作品の「ふたりはともだち」というもので、この「お膳立て」にまつわる謙也と白石のお話を書いたことがあるのですが、このときはまだ謙也についてちゃんと掘り下げて考えたことがなくて、ただ謙也に対するモチ子のあこがれとか、かっこよさ、きらきらしたものを全部集め、謙也至上礼賛!のつもりで書いたものでした。でもいま考えてみれば、この謙也は白石という他者にベクトルが向いているので、ある程度気持ちに清算をつけた対応ができているけど、もしかしたらこのあと白石が帰宅し、教室にひとりになったら、笑顔では終わらないところがあるのかもしれません。そう考えると、謙也くんが少しだけわたしの近くに来てくれる気がします。生きている人間を描く、という意味で。
1番上にあげた「God knows」という歌は、そういう幾千の他者の向こう側、無限大の優しさの奥に少しだけ危なっかしく、甘えベタで傲慢なところを持ってる謙也くんに向かい、財前くんが歌っている歌、という雰囲気でもってきました。「痛みをわかちあうことさえ、あなたは許してくれない」とか、「無垢に生きるために振り向かず、背中を向けて去ってしまう」のは、前述してきた、自分自身にベクトルを向けて頑なになってる謙也くんの姿。そしてそれでもなお、そんな謙也くんにかがやきを見出し、謙也くんを愛しく思い続けるからこそ、「わたし ついていくよ」に繋がっていく、というイメージです。財前くんが、それまでのような謙也くんに対して「こっちを見て」「振り向いて」「こっちへ来て」「好きになって」って思うばかりの立場から脱却し、「あなたがどこを見てたとしてもわたしが見る」「振り返る」「ついていく」「好きでいる」って思えるようになったとき、――ひいてはこの歌でいう「わたし 覚悟してる」って考えるようになったときこそが、謙光の財前くんのターニングポイントであり、次へのステップアップな気がする!…ということを言いたかったのでした。(長い)
まあ要約しますと、「行かないで」じゃなくて「ついていく」って財前くんがゆったらもえるよね!!というお話でした!!(これだけでいいじゃねーか)
あとがき
なにげなく書いた日記ですが、意外とモチ子の謙光史の原点かもしれません。