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時計ウサギが操縦席に座ったと同時に、世界が揺れ始めた。まさに時計ウサギが解説したゲームのルールそのままに、敵性怪獣が日本を襲いに現れたのである。時計ウサギは眉ひとつ動かさず、慣れた様子でロボットを操縦(コンピュータなどの操作ではなく、ただパイロットが念じるだけでロボットは思いのままに動くのだった)し、巨大な蜘蛛の形をした怪獣を追い詰めてゆく。最終的に敵を倒すには、敵の体の中に埋まっている、「核」を探して壊さなければならないことを、実戦を以って8人に伝える時計ウサギ。戦闘が終了すると同時に、8人はもといた浜辺に戻されるが、「すまない」という言葉を残し、なぜか時計ウサギは失踪してしまう。 夜が明けると、世間は謎の怪獣と時計ウサギのロボットの話題で持ちきりだった。8人はこのゲームの存在を自分たちだけの秘密として、神奈川へ帰ることを決める。あまりの現実味のなさに、ゲームの存在をなかば意識的に忘れながら、日常の中へ戻り始める8人。しかしそれから1週間後、今度は横浜市内に敵性怪獣が現れたことをきっかけに、8人は自動的にコックピットに強制転送される。 集まった8人をコックピットで待っていたのは時計ウサギではなく、喋って動く1匹の小さなチェシャ猫だった。チェシャ猫は、失踪してしまった時計ウサギに代わって自分がこれからのゲームアドバイザーとなったことを8人に話し、次のパイロットを決めるルーレットをまわす旨を宣言する。最初の夜と同様に、回り始める8つの椅子。同時に、「頭の中で何かの声に呼ばれた」と、席を立つ者があった。そして操縦席の位置で止まったのは、彼――ジャッカルの椅子だった。 ・ ・ ・ ・ ・ 「俺が最初なのか」と、自動的に操縦席の位置に動き始める椅子に腰掛けたジャッカルが、物憂げな声を挙げた。「俺、あんまりゲームとか、やったことないんだけど」 「心配すんない。いい年した時計ウサギのオヤジだって、あれだけ余裕に戦ってただろうが。ボタンの操作だの手順の暗記だの、そんなまだるっこしいもんはこいつにはいらねえんだ。パイロットの思考ひとつでそれと同じように動く、操り人形と同じだよ」 チェシャ猫が甲高い声で笑いながら、ジャッカルの腰掛ける椅子の背に器用に登り上がった。皮肉げに尾を振る仕草が憎たらしい。口調そのものは男のそれだが、声音自体はまるでモザイク処理が掛けられたように不明瞭な音階で、結局チェシャ猫がオスなのかメスなのか、いやはたして猫と呼べるのかどうかでさえ、誰にもわからなかった。 「しかし、これはそんな簡単に話を済ますことの出来るゲームではないでしょう。こんな街中で、足もとにはたくさんの方々が暮らしている。あんまり急に戦いが始まるものだから、避難だってとても間に合わない」 柳生が低く、威厳のある声でチェシャ猫を見上げ、抗議する。しかし猫の飄々とした態度は一切変わらず、ただ癇に障る薄笑いを浮かべているだけだ。 「そんなもんは、俺の知ったことじゃねえ。避難を待ってから動くってんなら好きにしな。だが、向こうだっておいそれと待っちゃあくれねえぜ。あっちだって、“いろんなもん”背負ってここにいるんだ」 猫の言葉に、柳生が眉を上げたのと同時に、轟音が響いた。そら、来たぜ、軽い調子のチェシャ猫の声に被さるように、敵性怪獣の身体が浮き上がって、前進を始めたのだ。大きい。ビルひとつふたつじゃ比べ物にならない巨漢、尖った槍のような形から、すらりとひょろ長い2本の脚が生えている。「さしずめ“バヨネット”(銃剣)ってとこだね」と、幸村の厳しい声が呟いた。バヨネットがその黒く、不気味な脚を使って踏み出してくるたびに、道路が重量に陥没し、建物が踏み砕かれる轟音が響く。高架橋が崩れ、倒れ、いくつかの車の姿が見えなくなったのを、8人は見た。何て事を、と、真田が歯を食いしばって呻く。まるで映画の様な光景に、現実でしかあり得ない衝撃と音波が辺りを取り巻いた。ゲーム。遊び。遊興。そんな陳腐な責任の伴わない言葉に、この現状が当て嵌まるはずが、ない。 「やめろ!」 絶叫が響いた。操縦席から、ジャッカルが吠えたと同時に、ロボットも怪獣に向かって前進を始める。パイロットであるジャッカルの意思に呼応しているのだ。この場から動かず、相手の暴挙を止める事は不可能だ。建物を縫うようにして駆けたロボットの体躯が、バヨネットの痩躯にぶつかり、組み合って止まる。衝撃に、コックピットが地震に揺れた。 「ジャッカル!!」振動にふらつきながらも、立ち上がって呼びかける丸井の声に、ジャッカルはひとつ短い返事をして、敵体とがちりと組み合ったまま、ロボットの片腕を振り上げる。鋭利な剣先の様な腕は、バヨネットの右肩を貫いて動きを抑え込んだ。振動が止まる。同時に力が抜けたように椅子に腰を落とした丸井の前で、ヒュウ、と、チェシャ猫が口笛を吹いた。「やるじゃねえか、お人好しのハゲが。頭に血が上ると、見境なくなるどころか逆に本領発揮するタイプだな。」 「ジャッカル、大丈夫なのか」 「あ、ああ。でも駄目だ、頭が真っ白になっちまって」 柳の問い掛けに、ジャッカルが首だけで振り返ってかすかに笑う。額に薄く汗を掻いているが、外傷や体への影響はないらしい。 「確かウサギが言うには、核とか言うのを探し出して、潰さなきゃならねえんだったよな…」 「核っつーぐらいだ、胴体の真ん中狙ってみろよ。もう片方の腕、使えるか」 「やってみる。早いとこ終わらせないと、街に被害が増えるばかりだ」 息を切らしながらも、ジャッカルが低く返事をした矢先に、遠くから、風を切る唸り声のような音が響き始めた。いち早く、獣のように顔を上げた仁王が目を眇め、つられて顔を上げた7人の顔が驚愕に瞠られた。前方南、上空の空に、二つの小さな光が近付いて来ている。飛行機、F-15E、88式軽戦が二機。空自の軍機だ。市内激戦の情報を得たのだろう、旋回するように上空を飛行している。チェシャ猫が鼻を鳴らすように笑った。 「あーああ。出てきやがった、地上のオモチャ。止しときゃいいのによ。無駄な足掻きだってのに」 上空に、空自の警告放送が流れ始める。サイレンに混ざって、即刻破壊行動を停止しなければ、攻撃も辞さないとの通達。「攻撃って、」赤也の口許が引き攣る。「攻撃って、あいつら!こっちはニッポン守ろうとしてんのに!!」 「しゃあない、客観的に見た以上は、俺たちが乗ってるコイツもあのバヨネットも、破壊行動に大差ないんじゃろ」 「そんな事言ったって!!!」 仁王の冷めた指摘に、赤也が悲鳴じみた抗議の声を上げる。と、突然、コックピットに振動が響き始めた。揺れが大きい。バランスを崩して椅子から転げ落ちそうになった赤也を引っ張り上げながら、前方を仰いだ丸井が瞠目し、叫ぶ。 「ジャッカル!!!敵が!!」 ハッとジャッカルが顔を上げるか否か、ボキリと嫌な金属音が響き、追う様にして重量感のある轟音が響き渡る。バヨネットを押さえ込んでいたロボットの右腕が、バヨネットの内振動によって折り取られたのだ。自由を取り戻したバヨネットの機体が旋回する。勢いに負けて横倒れになったロボットを踏み越えて、戦闘機と対峙するように向き直ったバヨネットの脚が、不意に振り上げられた。そのまま、脚はまるで飛び回る蝿を打ち払うかのように、戦闘機の一機を蹴り上げる。息を飲んだ8人の目の前で、紙切れのように舞い上がった機体は、あっという間に爆発して燃え上がった。かつて人を乗せていたはずのそれが、バラバラと砕けて地上へ戻ってゆく。 続いて、距離を詰めて突進してきたもう一機を、バヨネットはするりと身をこなして避けた。旋回ざま、宣言通りに戦闘機の胴下から閃光がいくつも撃ち出されたが、そのいずれもバヨネットの機体に傷ひとつつけることさえ叶わず、塵となって落ちる。馬鹿な、と柳が呻いた。「あの機状から言って、搭載されているのはハイドラ70ロケット弾だぞ。掠り傷ひとつ、付いてやいないなんて、有り得ない」 「だから言ったろ」、チェシャ猫が歯を見せて笑った。「地上のオモチャ程度じゃ、こっちゃアリにくすぐられてるようなもんなんだよ」 バヨネットの脚が再び振り上げられ、息をする間もなく二機目の戦闘機も撃墜された。重いものが落ちて、ぶつかって、壊れる音。同時にサイレンの音が止んで、辺りがしんと静まり返ったような錯覚さえ起きる。8人の誰もが呼吸さえ止めて、その異常かつ凄惨な光景を凝視していた。 俄かに、ひゅ、と息を吸い込む音がして、倒れていたロボットが動いた。「お前!!!」激昂したジャッカルが叫び、呼応したロボットは跳ね上がるような動きで立ち上がる。折り落とされた右の腕先を、咄嗟に左腕で逆手に掴み、剣先のように振り上げたロボットの一撃は、ギシリ、と音を立てて振り返りかけたバヨネットの胴体を、今度こそ一直線に貫いた。同時にバヨネットの頭頂部、まるで電源ランプのように灯っていたいくつかの光が、フェードアウトするように消灯する。やがて動きを止めたバヨネットは、自重に耐え兼ねたように轟音を立てて横倒しになり、まるで煙のようにその姿を消した。あまりにも、あっという間の出来事だった。 「………終わった、のか」 放心したような、ジャッカルの声がぽつりと落ちる。チェシャ猫が「ブラーヴォ!」と笑いながら、操縦席から飛び降りた。 「なかなかやるじゃねーか、最初のパイロットにしちゃ上出来だ。見事敵性怪獣一体目を撃破、だぜ」 「ジャッカル!大丈夫なのかよ」 「ジャッカルセンパイ!!」 丸井と赤也が泡を食って操縦席に駆け寄ってくる。ああ、何とか、と返事をしたジャッカルは、引き攣ってはいたものの、かすかな笑みを浮かべ、席を立った。立ち上がる、こわばった足が感じる、床の感触。ぎゅっと自分の腕を握り締めてくるチームメイトの手の温度が、ひどくあたたかく、確かなものに感じられる。寄っては来ないが、あまり動かない表情の下で、柳や仁王も安堵の念を覚えている事が伝わって、ジャッカルは今度こそ長く、ゆっくりと息を吐いた。 「ご苦労だったな。これでゲームはまず1勝だ。次の戦闘はまた、次の敵性怪獣が襲来次第適時って事になる。まあそれまでは、てめーらも僅かな余暇ってものを――」 「いいや、ゲームは即刻中止すべきだ」 チェシャ猫の陽気な声を、しかし真田の厳しい声が被せ、止める。柳も頷いて、「俺も同感だ」と低い声で同意を提示した。幸村が毅然と伸びた背で、二人の言葉の先を纏める。 「俺達は確かに、時計ウサギに言われてゲームに乗った。けど、こんなのは最早、遊びで済むレベルのものじゃない。これから先、あの怪獣達から人々の生活を守り切る事なんて、俺達には到底出来やしないよ。今だってきっと、他に仕様が無かったとは言え、死傷者が出たに違いない。俺達は訓練を受けた軍人でもないし、何がしかの権限を持っているわけでも、大人でもないんだ。チェシャ猫、これ以上、俺達はこのゲームを続けるわけにはいかないよ」 幸村の、静かだけれど凛とした声に、ジャッカルは俯いた。他に仕様が無かったとは言え、自分にはあのバヨネットの攻撃から、街を、人を、守ることが出来なかったのだ。しかし遣る瀬無く落とされた彼の腕を、ぎゅっと強く握る者があった。丸井の手のひらだった。驚いて見下ろした赤い髪は、まっすぐに幸村と、そして彼が対峙するチェシャ猫を見つめている。こうやって、疑心も虚無も何も知らない目で、いついかなる時も真実を見通すことの出来るこの小柄な少年の事を、ジャッカルはひときわ友人として好いていた。 幸村の一言に、異論を唱える者はいなかった。コックピットから出て、地上に降りたなら、例え信じてもらうことが出来なくても、ただ真っ直ぐに、この友人のように真っ直ぐに、在りのままを大人に話そう。そしてもしこれまでの出来事がすべて、罪に問われるとしたなら、甘んじてその罰を受けよう。そうなったとしても、きっと飽きることなく自分を待っていてくれるだろう友人がいることを、ジャッカルは強く確信していた。 「何、言ってやがるんだ?」 しかし、チェシャ猫から返って来た言葉は、実に端的で短く、嘲笑交じりの一言だった。表情を歪め、薄く、ただ純粋に愚かなものを呆れ笑うように、猫が飛び跳ねて再び操縦席の背中に登り立つ。教室の椅子。ジャッカルが日頃、大きな体を使いにくそうに縮めて、腰掛けているもの。 「一度契約を結んだパイロットは、どんな事態であろうが、どんな事情があろうが、契約を棄却することは認められない。時計ウサギのヤローから聞かなかったのか?お前らの乗ったゲームは、そういうルールで成り立ってるんだよ」 ニヤア、と、耳元まで裂けたように笑うチェシャ猫の言葉と、それが起こったのは、同時だった。ぐらり、と、視界の端で、動くもの。それはごろりと、人形にように地面を倒れ、転がる。確かに握り締めていたはずのものが、瞬きの間に抜け落ちてしまったことを、小さな子供の抱える不思議のように、丸井は見た。友達の、腕。眠るように、何かが終わったように、あっけなく、あどけない姿で。 かつてジャッカルだったはずの少年の体が、静かにそこに伏していた。 僕らの世界の夜明けまで、あと7人。 (to be continued…) |