「憎む」









真田が「謎の敵性怪獣」の襲撃により「失踪」してから、数日が経過した。彼の残した圧倒的な空白を、表向き傷としては見せずに過ごすレギュラーたち。だがついに見つからなかった――正確には隠蔽された真田の亡骸には、立海の校内にも校外にも、彼らしからぬ失踪への波紋と疑問を集め始めていた。また、これまでの敵性怪獣の襲撃が立海のある神奈川に集中している状況を受け、地方へ「疎開」する関東近郊住民が増え始めたことで、逆ドーナツ化現象とも呼べる事態が世情を揺らがせ始める。「ゲーム」の影響は、日本全国を通し、世界にも波及し始めていた。

そんな世間をよそに、傍目には常通りと変わらぬ日々を過ごす幸村のもとに、ある日前ぶれなく氷帝学園の跡部が訪れる。跡部は冬を境にドイツへのテニス留学を決めており、その前に改めて真田と再戦することを約束していたのだが、1週間前――真田のパイロットルーレット当選翌日――に真田本人より約束を守れなくなったという電話を受け、結局そのまま再戦は果たされることがなかったのだと言う。跡部はその電話の際に真田に感じた「違和感」を、そのまま事件への不信としてずっと引き摺っていたのだった。


「お前も、真田がただくたばったなんざ思っちゃいないんだろ?」
「―――どうかな」


問いかけられ、かすかに笑ってこたえる幸村。その落とすような静かな笑いに眉をしかめた跡部は、「…とにかく、俺は暫くテメエらを見張る」と宣告する。「嫌だっつっても聞かねえぜ。俺はやりたいようにしかやらねえ人間だからな。テメエらの思惑には乗ってやらねえ」


「テメエ“ら”?」
「レギュラー全員だよ。今のテメエら皆、尋常じゃねえ」
「へえ。根拠は?」
「平常心過ぎんだよ。まるで、“こうなることがわかってた”みたいに見えるぜ」


跡部の言葉に、まなざしをすがめる幸村。跡部はとつとつと先を続ける。


「真田もそうだ。あのテニス馬鹿が、“もしかしたら事件に巻き込まれるかもしれない”程度の危惧で、俺との試合を放り出すタマかよ。……馬鹿正直な奴だぜ、あいつのあの電話がなけりゃ、俺様もここに来ようとまでは思わなかったかもしれねえのによ」




だが生憎、俺様は“後悔”って言葉が、この世で一番嫌いなんだ。




言外に真田の死を悼む跡部に、しばらく黙ったあと、「お前みたいな部長に引っ張られてく、氷帝の奴らが羨ましいよ」と呟きかける幸村。跡部は笑い、肩を竦める。


「ハ、どうだかな。わざとらしくおだてて見せた所で、監視は緩めてやらねえぜ」
「あれ、バレた?残念だな」


軽口を叩いたあと、「またな」、という言葉を残し、去っていく跡部。その背中を見送りながら、彼がお得意のリムジンではなく、歩いて自分を訪ねてきたことに気付いた幸村は、後悔か、とつぶやき、空をあおぐ。そこに突如駆け込んできたのは、3年の女子生徒だった。半分泣きながらも幸村を呼びに来たという彼女は、「I 組で――」と口火を切る。I 組は、レギュラーメンバーの中で最も教室の遠く離れた、――今はもういない、ジャッカルの在籍していたクラスだった。
















女子生徒に呼ばれて幸村の駆け付けた放課後のI 組では、机と荷物が狂乱したかのように散らばっており、荒れた室内の中央を囲むように、生徒達の人だかりが出来ていた。中には泣いている女生徒もいる。そのぽっかりと空いた部屋の真ん中で、なおも教室中の荷物を恐慌したように壊し回っていたのは、丸井だった。丸井は感情のない声で、「誰だ」「誰がやった」と繰り返し繰り返し呟いていた。彼の真っ暗な目で「お前か」と見上げられるたびに、生徒たちが竦み上がっては首を振り、青ざめている。


「――何があったの」
「く、――桑原君の、机の上に。誰かが、お花を置いたの。誰だかわからないのよ、掃除が終わった時にはもう置いてあって……でもそれを見て、丸井くんがすごく、怒ったの。それで、あんなふうに」


尋ねかけた幸村にことの次第を説明しながら、嗚咽して崩れ落ちる女生徒。その涙に促されたように、I 組の生徒たちが次々嗚咽しはじめる。真田と違い、親元に遺体が返されたことで、学校側にも公然となったジャッカルの死に哀惜するのは、レギュラーメンバーだけではなかった。彼のその個性的な風体をいい意味で裏切る、優しさと穏やかさ、思慮深さは、クラスメイト達にとっても大いに知るところだったのだ。すすり泣く男子生徒のひとりに近付いたのは、しかし当の丸井だった。ひ、と悲鳴をあげかける男子生徒の首根っこを掴んだ丸井は、凄まじい力でその襟首を捩じ掴んで持ち上げる。


「――ひ、ひぃ、」
「なに、泣いてんだよ。泣く必要なんか何もねえだろ?何で俺が怒ってんだか、わかんねえはずがねえじゃん。こんな胸糞悪いイタズラする奴、殺されて当然だろぃ?それとも何?お前がやったの?お前が――お前がジャッカルの机に置いたって言うのかよ!!!」


狂気さえ滲ませた声で恫喝する丸井に、男子生徒は悲鳴を上げて必死に首を振る。事態を収拾させようと一歩を踏み出した幸村より先に、しかし一足早く踏み込んだ者がいた。「俺がやった」と名乗りを上げたのは、驚くべきことに赤也であった。


「………お前が?」
「あーあ、丸井センパイ、ひでー有様。だっせえの。わかりやすく荒れやがって」
「質問に答えろよ、赤也。――お前が、ジャッカルの机に、置いたのか?」
「は、なに、丸井センパイ、ジャッカルセンパイが死んで頭ボケボケになったわけ?聞こえなかったな
ら、もっぺん言ってやるよ、それは俺がねえ、」


挑発的な笑みを浮かべながら揶揄する赤也が最後まで言い終わらぬうちに、今まで掴み上げていた男子生徒を振り落とした丸井が、標的を赤也に変えて殴りかかった。バキリ、と、鈍い音。教室に悲鳴があがる。倒れた赤也に乗り上がり、肩で息を切らした丸井は、明らかに平静を失っていた。


「てめえ!!!ぶっ殺してやる!!」
「だーかーら、荒れすぎなんすよあんた。マジでだっせえ。ほんとジャッカルセンパイって、あんたのお守り大変だったでしょーね。あんたがこんな、抱っこにおんぶの赤ちゃんじゃ」
「ふざけんなああああ!!!」


再び振り下ろされた丸井の拳は、しかし今度は赤也の手のひらに防がれる。形勢は逆転し、組み合ったふたりの体の位置が反転する。一転して丸井の上に跨り、拳を振り上げかけた赤也に、一瞬怯んでから、「殴りたきゃ殴れよ!!!」とよそを向いて怒鳴る丸井。怒りなのか、哀しみなのか、虚しさなのか、がくがくと震える丸井の顔に、しかしいつまで待っても赤也の拳は振り下ろされない。窺うように目を開けた丸井の上では、前髪の下で赤也が笑っていた。



「バッカみてえ。何も変わんないっすね、俺ら。あん時と同じじゃんか、全部が全部。殴って止めてくれる人は、もういねーのに」



びたり、と、丸井が動きを止める。前髪に隠れて、赤也の目は見えない。おそらく泣いてはいない、憤ってもいない、彼はただ、静かに呼吸をくりかえし、たんたんと呟きを落とすばかりだ。彼の言う「あのとき」がいつを指すのか、聞かずともわかっていた。


「何も変わんねーよ。変われるわけねえよ、そんないきなり。ジャッカルセンパイも副部長もヒキョーだ。ずるい。ね、丸井センパイ、あんたが荒れてんのだって、全部そーいうことなんでしょ」
「………うるせえ」
「でも変わらなきゃいけないんだ。だっていないんだから。殴ってくれる人も、代わりに殴られてくれるお人よしも、もういねーんだよセンパイ。だって考えてもみろよ、いつもだったらどうだったよ、俺たちがこんだけこじれてさ、まっさきに飛び込んでくるふたりがもういないよ。いないんだよ、センパイ」
「―うるせえ」
「わかってんだろ。――ジャッカルセンパイは死んだんだ。副部長ももういないんだ。認めたくなくて、憎くて悔しくて、またかんしゃく起こすってんなら俺のこと殴ればいいじゃん、いいッスよ殴って、そしたら俺も殴り返すぜ、やられっ放しは性に合わねえから受けて立つよ。でも約束しろよ、殴るだけ殴って、痛めつけるだけ痛めつけたら、きっと絶対あんたはいつものあんたに戻ってよ。あのふたり、おせっかいなんだからさあ。特にジャッカルセンパイは、心配性なんだからさあ。……あんたがそんなんじゃ、どこにも行けないじゃん」


つきものの落ちたように、だらりと腕を落とした丸井を見下ろす赤也の目が、前髪の下から覗く。赤くなってもいない、ただ冷静で、まっすぐで、幼いけれど無邪気なわけじゃない、そんなまなざし。






「なあ。あんたら、パートナーだったんだろ。あんたがあの人いなきゃ赤ん坊になるのと同じように、あの人にだってあんたじゃなきゃだめだったんだよ。俺はさあ、――あんただから、こんなこと言ってんだよ」






つたなくも、真摯な赤也の言葉に、ふいに丸井の脳裏に浮かんだのは、ジアースの操縦席に選ばれた、ジャッカルと自分、ふたりの教室の椅子だった。入学当初、あの強面の外見で遠巻きにされ、まだあどけなさの残る子供達の中で、ひとりおとなびて、ぴんと張った大きな背中。反して丸井は社交的な性格と快活な話し口調を取り立てられて、クラスではいつも真ん中にいた子どもだった。けれどあの最初の日、彼の――ジャッカルのチョコレート色の褐色の肌が、腹ペコの丸井にはなんだかとても甘くおいしそうに、魅力的に思えて、だからあの日の丸井は人種も何もかかずらうことなく、ただあたりまえのように、一緒に帰ろうと彼を誘ったのだ。彼はずいぶん驚いていた。何か裏があるんじゃないかとまで、疑ってさえいたようだった。けれどそのうち気付くのだ、丸井という少年の、どこまでもまっすぐで嘘のないこと。裏も表もなく、ただ自分の見たいように、自分の正しいと思うことだけをするところ。そうして思うようになる、この子が俺の友達になってよかった。この子が俺を選ぶなら、俺も正しい男になれる気がする。テニスやってよかった、立海に入ってよかった。この子のパートナーになれてよかった。わがままで、危なっかしくて、俺様で傍若無人なやつだけど、でもこの子の正しさとまっすぐさに、いつだって俺は救われているんだ。
そんなたったひとりの友だちを――得がたく思っていたのは、どちらが先だったんだろう?







(ニッポンに来て、最初に出来たダチって、多分お前なんだろうなあ)







くしゃりと褐色の肌をゆがめて笑った彼は、あの日もたぶん、あの椅子に座って隣にいた。大柄な体を少し縮めて、座りにくそうに眉を困らせて。
思い出すと同時に、――ぼろぼろと、丸井の目からあふれだす涙。真夏の夢が終わって、ジャッカルがいなくなって、真田がいなくなって、すべてが音を立ててこわれる音がしている。けれどそれはたぶん、その日から数えてはじめて、丸井が心から流した喪失と旅立ちへの涙なのだった。







(to be continued…)