昔々あるところに、赤いずきんの大層似合う、財前光という名前の男の子がおりました。彼は森のふもと、白石という名の母親代わりの青年とふたりで暮らしており、森の果物を摘んで売ったり、酵母を育ててパンを作ったりしながら、小さな木の家で淡々とメルヘンに生活していました。財前は、根は心根の優しく誠実な子供でしたが、誰に似たのか大変なあまのじゃくだったので、口を開けば皮肉しか言えず、たびたび周囲とトラブルを起こしてばかりいました。そのたび近所に頭を下げたり、「財前はしかたないなあ」と苦笑いで自分を許してくれる、白石に悪いなあと思わないでもないのですが、いかんせん財前は白石に出会うまで、皮肉以外に言葉というものを知らずに育ったので、「ありがとう」や「ごめんなさい」を表現するにはいつだって黙り込むほかなく、けれどそれさえも肝心の白石が全部わかっているよ、という風に笑うので、財前はなんとなく黙りこんだまま、でも気持ちだけはあたたかく保たれたまま、とにかくそんな風に穏やかに暮らしていたのでした。


ある日、白石に呼ばれた財前が表へ出ると、彼は日本酒と精進料理を包んだ風呂敷を光に渡して、森の向こうに住んでいる昔なじみの銀というお坊さんにこれを届けてほしい、と言いました。財前は正直たいそう面倒臭いと思いましたが、まあ白石の頼みなら、としぶしぶ頷き、「ほな、行ってくるっすわ。」、とその黄緑色の風呂敷を受け取りました。その際、白石はまじめな顔をして何度も何度も、


「最近の森の中にはおっとろしい、人食い狼の出るっちゅう話や。危なくなったら、この赤いずきんをかぶって逃げるんやで。なんでもその狼は、赤い色が苦手やって聞いとるからな」


、と言い、おなじみの赤ずきんを深く財前にかぶらせました。あんまりぎゅうぎゅう強い力でかぶせかけてくるので、財前は正直「うざいっすわー」と思っていましたが、まあ白石のすることなのでやっぱり黙ってそれを受け入れ、昼日中の森の中、のろのろとお使いに出発しました。森へは、日頃から山葡萄や野いちごを取りにたびたび白石と出掛けてはいましたが、ひとりの旅路はそういえば初めてです。まして森を抜ける長いお使いなど、白石とさえ一度や二度しか来たことがありません。生まれついてのポーカーフェイスゆえ、顔にはほとんど出ないのですが、心持ち高揚する胸を押さえながら、いつもと全く違う景色を見せる林道を、財前はさくさくひとりで歩いてゆきました。








順調に思われた使いの旅が、ふと不穏な様子に変わったのは、財前が出発して1時間あまりが経った頃、それまでかんかんに晴れていた空が、思わぬ雨雲に覆われ始めたときでした。にわか雨が来るかもしれない、と財前が眉をひそめた矢先、大粒の雨が空を見上げる彼の鼻先に当たり始めたので、財前は慌てて道を逸れ、雨宿りできそうな広葉樹の林を目指して走りました。運悪く、あたりは遮るもののない野原の中だったのです。走りに走ってたどり着いたブナ林は、財前の目指す森向こうとは、だいぶん方向が逸れていました。見たことも踏み込んだこともない景色に、一抹の不安を感じないでもなかった財前ですが、そういう、怖いとかさびしいとかいう感情こそ本当に顔に出ない彼は、ぐっしょりと濡れてしまった赤いずきんを取って、傍目には淡々と無表情にそれを絞りました。あたりは薄暗く、人気も、いつもはかしましく感じられるほどの森の動物たちの気配すらありません。幕のようにザアザアと、降り続く土砂降りの音だけが鼓膜を占領するだけのさびしい世界は、白石に拾われる前の自分を彷彿とさせて、財前はなんだか嫌な気持ちになりました。目を閉じて木に寄り掛かると、感覚をシャットアウトするように睡魔がおとずれて、財前は身を小さくしてその場にごろりと寝転びました。早く、こんな雨なんかやんでしまって、お使いも済ませて、白石のところに帰れたらいいのに。まどろむ財前の意識から、雨音は次第にかすみがかったように遠ざかっていきました。














次に財前が目を開けたのは、ガサガサガサリ!という、不自然に茂みが鳴る音に気付いたからでした。あたりを見渡すと、雨はとっくにやんでいて、心なしか日も沈みかけているように見えます。あちゃー、寝過ぎてもうた、白石に怒られるかも、と財前が淡々と起き上がると、またどこかでガサガサガサリ!と茂みが音を立てました。今度は、先程より少しこちらに近付いた気がします。財前の脳裏に、白石が再三注意を促していた、恐ろしい人食い狼のことが思い浮かばれました。慌てて白石の言い含め通り、赤いずきんをかぶろうと手を伸ばした財前の目の前を、にゅう、と誰かの腕が横切ったのはそのときでした。ぎょっとして振り返ると、財前の真横の茂みから何者かが腕だけ伸ばし、白石から託された風呂敷包みをあさろうとしてるではありませんか!


「…………。」


財前は嫌そうに顔をしかめると、黙ってその誰かの手をバチコーン!!と叩きました。「あいだっ!!」と跳ね上がった声は、財前と同じくらいの年頃の少年のものに聞こえましたが、財前は構わず無表情のまま、今度はその誰かの手をぎゅうぎゅうと抓り上げました。「いだいいだいいだい、いだいっちゅうねん!!」痛みに耐え兼ねたのか、とうとう茂みから飛び出してきた喚き声の主は、財前より少し年上と思しき、派手な金髪をした背の高い少年でした。彼は目に涙をためながら、財前をぎろりと睨み付けると「鬼!!」と怒鳴りました。


「お前、手加減っちゅうもんを知らんのかい!手の肉がこそげるかと思ったわ!!」
「はん、コソドロがなん言うとんのや。死なされんかっただけありがたく思わんかい」
「コッ……」


間髪入れずに切り返された財前のツッコミに、金髪の少年はコソドロにあるまじき罪悪感に満ち満ちた顔になって、


「やって、仕方ないやん。もうメシ、5日も食うてへんのやもん。この森は来たばっかやから、勝手がわからんのやもん」


と、しょぼくれた声で喋りました。いやにお人よしなにおいのするコソドロやな、と、財前が眉ひとつ動かさないまま見ていると、少年はその場に座り込み、ぱん、とてのひらを合わせて土下座しました。


「な、一生のお願いや!!そん風呂敷の中、メシやろ?頼むから、ほんのちょこっと分けたってくれんか」
「無理っすわ」
「即答かい!!!」


ツッコミの鋭いコソドロ少年にも、財前は動じません。風呂敷を抱えると、耳をほじほじ、「つか、これ別に食い物とちゃうし」、とそらっとぼけましたが、少年は「嘘や!俺の鼻はごまかせへんで!!」、と引き下がりません。アホらし、といよいよきびすを返そうとした財前は、しかし視界の端にうつったものに、思わずぴたりと足を止めました。座り込んだコソドロ少年の、ビシバシに傷んだ短い金髪の隙間から、なんと茶色くやわらかそうな、獣の耳が生えていたのです!耳は犬のそれに似ていて、そのうえ時々ぴくりぴくりと、左右にひとりでに動くのでした。


「………。」
「あだーっ!!?な、何すんねん!!」


思わずそれをひん掴み、引っ張りましたが、耳は少年の頭にべったりくっついて取れません。それどころか、少年はまるで本当の耳を引っ張られたかのように痛がるので、財前はすっかり意味がわからなくなりました。そのままぐいぐい引っ張ったり伸ばしたりしている財前に、埒があかないと思ったらしい少年が、その手を振り払って逃げ出したのはすぐでした。気持ち、勝ち気そうな目が涙ぐんでいます。


「痛いわ!!ほんまになんやねん、いきなり!大ッ事な耳やねんぞ、もっと丁重に扱わんかい!」
「あんた……獣耳マニアかなんかっすか?キモッ」
「コラァ!!変態とは何や、聞き捨てならんことを!狼に狼の耳がついてて何が悪いっちゅうねん!!」


ギャアギャアと喚き立てる少年の言葉を聞いて、財前は目が点になるような気持ちがしました。今、この変態、自分のことを狼と名乗らなかっただろうか。まあ実際はポーカーフェイスにかたく守られ、少しも表情は変わらなかったはずなのですが、相対する少年は何かを感じ取ったのか、きょとんと毒気を抜かれた顔になりました。


「何や、気付いとらんかったんか?もの知らんやっちゃなあ、よく見い、どっからどう見たってれっきとした狼やんか!俺、浪速狼の忍足謙也っちゅうねんで。」
「………はあ。そうですか」
「何や、反応薄いなあ。ほら、尻尾もあるで!」


そう言ってゆさゆさと尻尾を振ってみせる、謙也と名乗った少年−いや狼が、財前を世間知らずのように扱ったのはある意味間違いではありませんでしたが、しかし財前からすれば、人間の食べ物を狙い、人間に名を名乗り、人間に尾を振り、あまつさえ喜怒哀楽に表情をくるくる変える狼がいるというのを、想定することに無理がありました。白石の言っていた人食い狼とは、似ても似つかない人間くささです。人違いならぬ、狼違いなんでしょうか?しかし試しに財前が赤いずきんをかぶってみると、謙也はギャッと呻き、ものすごいスピードで木の影に隠れてしまいました。…赤が苦手なのは本当のようです。いやそれにしても…と、財前が不信な眼差しで見ていると、謙也は木陰から恨みがましい声で「だってな」、と言い訳しました。


「俺、人里で育った狼なんやもん。こん森には、立派な狼になるための修業で来てんけど、そんなゆるい生い立ちなおかげで、食うに事欠いて参ってんのや。好きな食い物は生肉どころか、おでんん中で煮込んだすじ肉!何が苦手って、血見るのがいっちゃん駄目でな。ほんなわけやから、俺、赤がまるっきり駄目やねん。な、そういうわけなんで、そのずきん取ったって!頼むわ〜」


そんな謙也の哀れっぽい声が木陰から訴えかけてくるのをしばらく聞いていた財前でしたが、やがてあくびをすると、気を取り直したようにもと来た道を戻り始めました。


「あー!!ちょっとちょっと!!頼むからそん食い物分けたってえなー!!!」


と、ギャアギャア喚く声が追い掛けてきましたが、赤が苦手なのは本当らしく、まるっきり近付いてこようとしません。そのかわり、しばらく行ったところで、


「あかん、死ぬ……。」


と、うってかわった低い声でひとりごちるのがかすかに聞こえてきて、財前は思わず小さく吹き出してしまいました。もっとも、筋金入りのポーカーフェイスなだけあり、それは唇の端をほんの少し歪める程度の笑みでしたが、くるくると変わる謙也の豊かな表情と声になんとなく毒気を抜かれて思わず湧き出した、今の財前にとっては1番自然な笑顔でした。


「……そこの道、」
「あん?」


財前の小さなつぶやきを、さすがそのあたりは獣、謙也はきちんと拾いとったようで、「道が何?」とくたびれたような声で聞き返してきました。空腹なのは本当のようで、先程とはうって変わって声に力が入っていません。財前はまた口許を歪めながら、振り返らないまま言葉を続けました。




「そこの道、南にまっすぐ行って一本杉を曲がったら、斜面の下にアケビの林がありますよ」




教えてやった収穫スポットは、白石にも教えていない、財前が見つけたばかりの秘密の場所でした。あんまりにも狼が単純で素直で馬鹿だから、財前の中にちょこっと気まぐれな気持ちが生まれたのです。でもそんな気持ちが出ること自体、生まれて初めてだった財前なので、なんとはなしに気恥ずかしくなって足を早めると、はるか後ろから力強く明るい声で、




「おおきになー!!!」




と叫ぶのが聞こえてきて、 ああ本当にまったく馬鹿な狼だと、今度は少し違った意味合いで、財前は口許を歪めました。腹がぺこぺこでろくに力も入らないくせに、名乗るときと、笑うときと、礼を言うときだけ大きくなる声。今まで財前が出会った他の誰にもない、欝陶しくも闊達な力に満ちた明るい謙也の声は、ブナ林から遠く離れても、不思議と財前の耳に遠く近く響いて残るのでした。



何はともあれこんな風にして、赤いずきんの似合う財前光と、浪速狼・忍足謙也は出会ったのです。それがすべての、お話のはじまり。








あとがき


なんだこれ(真顔)