忍足に宍戸への感情を看破されてから、3日が過ぎた。宍戸と初めて言葉を交わした日からは、10日が経っている。兄とはあの日きり、顔を合わせていなかった。もともと朝も遅く、帰りも真夜中になることが多いヤツとは、まともな言葉を交わす機会さえまれだ。道場での稽古は、兄になんと言われようと続けるつもりだったし、実際そうしていた。武具を握り、まだ目指す高みがあると考え、邁進するときだけ俺は、どっちつかずにふらつく俺自身を許せるような気がしたのだった。

鳳が真面目な顔で隣のクラスである俺のもとへやってきたのは、その日の昼休みだ。火曜日、道場稽古のない日。おそらく、また一緒にテニスコートへ行こう!とわめかれるんだろうと思っていた俺の考えを、鳳の言葉はあっけなく裏切った。「告白しようと思うんだ」と、ヤツはらしくもなく緊張したおももちでそう言った。俺はとっさに返事ができず、弁当を食べる手を止めてまじまじとやつの顔を見つめる。鳳は本気の顔をしていた。鳳こそが、目指すもの、得たいと願うものに対して迷うことはしない人間の筆頭だということを、俺はずっと昔から知っている。知っていたはずだった。


「今週末に、テニス部内でランキング戦をやるみたいなんだ。それの応援に行って、そのあと、好きだって言おうと思ってる。ランキング戦が、2年レギュラーの一区切りなんだって。今を逃したら、来年の夏まで言えなくなっちゃうから」


決意宣告する鳳の表情は、普段のものと違ってどこか大人びていた。こんな目をするやつだったろうか。世間知らずで甘ったれで、泣き虫で単純バカの幼なじみ。いつだって俺の後ろをついて歩いていたような優柔不断のうすのろが、たったひとりで決めたこと。言葉を失っている俺に、鳳は照れくさそうに笑うと、「正直言って、怖いんだけどさ」と首を竦めた。それは、そうだ、と思った。人に、自分の思いをまっすぐに告げることはおそろしい。いつだって。「でも、言わないと、前に進めないことだと思うんだ」鳳は弁当箱を閉じると、目をほそめて窓の外を眺めた。グラウンドの向こう、森林広場の向こうには、あの人が全てをかけて戦い続ける、コートという世界がある。まっすぐに、バカ正直に前だけを見つめて、目指し続けるべきものたち。本当におそろしいことは、おそろしいと感じている自分の感情を認めることだ。弱い自分のありさまを、正しく知ること。鳳の目は、そんな恐怖をも静かに認めて受け入れる、覚悟と英知に満ちていた。




「進まなくちゃ意味がないってこと、俺は、宍戸さんから教わったから」




穏やかにほほえむ鳳の笑顔が、するりと胸にしみわたってゆく。ああ、そうやってお前も宍戸から、進むべき道を与えられたのか。俺は笑った。笑わざるを得なかった。今まで無表情でいたはずの俺が、唐突に口許を緩めたことを、不思議に思ったんだろう。日吉?と、鳳が首を傾げて覗き込んでくる。それを手でさえぎって、俺は立ち上がった。手早く弁当を包んで、次の授業の教科書を準備する。次は、理科だ。移動教室。渡り廊下の向こう、特別棟に行かなくちゃ。ああ、でも、渡り廊下はダメだ、テニスコートが見えるから。中庭をまわって、そうやって行こう、次の授業へ。







コートなんて、見たくない。あの人にはもう、会えない。







「ひ、日吉?もう行くの?ちょっと待って、俺も一緒に出るから」
「いい。次、理科係なんだ。だから先に行く」


また、鳳に嘘をついた、ひとつ。俺は理科係なんかじゃないし、本当なら昼休みが終わるまでにはまだ20分近く余裕があった。今理科室へ行ったって、教室はガラガラの無人だろう。予習だって復習だって終わってる。隠し事ばかりが増えていく俺の隣で、鳳が口を尖らせる。「そうなら早く言ってくれたらよかったのに。俺、ほんとはもうちょっといろいろ相談したいこととかあったんだよ」
わかってたらもうちょっと早く喋ったのに、と口を尖らせる鳳は、一体いつからこんな決意をかためていたんだろう。俺が、強くも弱くも、男にも女にもなりきれないでいるうちに。嘘ばかりを覚えていくうちに。この単純バカが、一体、いつから。
鳳、と名前を呼ぶ。え?と大きな目をまばたかせるヤツに、俺は出来る限りすました表情を保って、振り返った。ほっそりした体、ふわふわと揺れる銀の髪、花のような笑顔。そうだ、どれもみんな、俺にはないものばかり。俺とは違う、いきもの。あの人が、宍戸がまっすぐに、見つめかえすべきもの。





「お前、俺に相談する必要なんか何にもねえよ。堂々といけよ、あの人みたいに。怖いもの知らずがお前の強みだろ。いまさらグズグズびびってんな。あの人だって、きっとそう言うよ」





言い切ると、鳳は驚いたように目をみはり、まばたいて、それから興奮に上気した頬で、花のように笑った。ありがとう、と言われたのを最後に、俺はきびすを返す。一刻も早く、その場から立ち去りたかった。このとき鳳にかけた言葉に、嘘はない。こんな俺でもそれだけは誓える。だけど、馬鹿な鳳、鳳長太郎。礼なんかいらない。いらないんだ。誓えたところで俺はもう、二度と嘘を知らずにこいつと話すことは出来ないんだろう。それは予感ではなく、確信だった。


















うわばきのまま校舎をまわって中庭に出ると、噴水広場のまわりに何組か、弁当組がつつみを広げているのが見えた。知った顔はいない。無言で広場を突っ切って、特別棟に踏み込む直前で、立ち止まる。窓ガラスに映りこんだ自分の顔は、誰から見ても血の気を失って青白く、無表情だった。こんな時でも表情ひとつ変わらない自分が少し可笑しく思えて、教科書を持ち直す。改めて足を踏み出しかけると、特別棟の昇降口から背の高いひとかげがひとつ、飛び出してきたので、とっさに身を引いた。悪い、と低い声でつぶやいた相手は、やや長めの前髪の下から丸眼鏡の目で俺を見て、少し驚いたような顔をする。忍足だった。こんなときに、と舌打ちしそうになるが、忍足の後ろにもうひとりの上級生がいるのを見て、踏み止まる。赤いオカッパ頭に、くるくると猫のように動くはしばみ色のまなざし。確か、このひとも宍戸や忍足と同じ、テニス部のレギュラーだ。アクロバットが得意で、それならそれで体操部にでも行きゃあいいのに、と宍戸が笑っていたような、気がする。
ゾッとした。テニス部、宍戸、と考えるだけで、背筋を冷たい氷が這っていったような気がした。重症だ。かかとを引きかけた俺に、忍足が何か言いたげに眉根を寄せたのが見えて、それが余計におそろしかった。何を言われるんだろう。何も言わないでほしい。俺自身にもこの上級生にも宍戸にも、鳳にもなにひとつ。


「侑士、ジャマ!お前でかいんだから、いつまでも立ち止まってんじゃねーよ!!…ん、なに?知り合い?」


赤い髪の上級生がせわしなく首をめぐらせて俺と忍足を見比べているうちに、俺はつま先を踏み出して忍足の横をすり抜けた。そのまま校舎の中に入って昇降口を走り抜ける。おい、ちょっと、と上級生ががなっているのが聞こえたが、忍足は追ってはこなかった。考えてみれば当たり前だ。直接的な縁でもなく、決して友好的とは呼べない態度しか取らない後輩を、何の用事や因縁があって追いかけてくるって言うんだ。
理科室に入って扉を閉めると、思った通り教室は無人だった。遠く、かすかにグラウンドからの喧騒が響いてくる。切れる息を落ち着けようと胸に手を当てると、まるで丸一日稽古をした時のように心臓が激しく波打っているのがわかって、苛立った。何も動揺する理由なんかない。なにもないんだ、何も。そう、



「なんにも、ない」



声に出してまで確認したのに、どうしてかズキリと胸が痛んだ気がして、うずくまった。スカートの膝に顔を埋める。こんな感情の名前は知らない、知りたくもない。俺は弱さに立ち向かうことなんて出来ない。現実を見つめて前を向き続けることも出来ない。なにもない。なんにもなれない。自分の空白をおそろしいと認めることが、こんなにただただおそろしいなんて、俺は知らなかった。知らずにいた。それなのに、どうして強くなることが出来るって言うんだろう。どうして高みを目指すことが出来るって言うんだろう。今までの俺は、自分自身の見たいものだけを映した世界に守られていただけだ。兄はそれを知っていたのか。知っていたから、あの人は俺を笑ったんだろうか。










にわかに、廊下から足音が響いてきた。他の生徒たちが移動してきたのかもしれない。俺はのろのろと立ち上がって、教科書を握り直した。ステンレスの流し台に映った顔は、やはり色合いもなく無感情だ。クラスメイトたちに何かを疑われることはないだろう。若は女の子として損してるわね、と、小さな頃からさかんに苦笑を浮かべてきた母は、わかりやすく素直で天真爛漫な鳳を、遊びに来るたびよくかわいがっていた。鳳は小さな頃から単純バカでグズだったけれど、無駄に喜怒哀楽を外へ表出することが出来ない俺でも、鳳の笑顔が花やいで見えること、世界と色が違って見えることを知っていた。それが奴の誇るべきところだとも、俺にはない奴の天性であることも知っていた。だから、うざったくて、暑苦しいけど、目にうるさくて邪魔だけど、俺はあいつが、嫌いじゃなかった。


(でも、もう)


二度とあの時と同じ色で、あいつと話すことは出来ないんだ。俺が自分で、壊してしまったから。俯き、実験台に視線を落とした俺の背中で、教室の扉が開く。足音の主は少し驚いたように入り口で足を止めてから、やっぱここやった、とぼやくように呟いた。関西弁。ぎょっとして振り返る。ひょろりとした体に、襟足の長い黒髪、丸眼鏡。立っていたのは忍足だった。唖然とする俺の目の前で、「さっき、手に理科の教科書持ってたの見えたさかい、ここだと思ったんや」と息をつく。


「いや、そない言うてても、ほんまは第一理科室か第二かわからんくてな。第一見てから、ハズレや思うてここまで降りて来てん。あー、しんど。日吉、足速いなあ。昼メシ食うたあとに階段猛ダッシュなんて、するもんとちゃうわ」


ぺらぺらと、言葉ではそう言うくせに、さほど息を乱しているようにも見えない忍足は、しかしどうやら本当に4階の第一理科室を経由してからここまでやって来たようで、額にうっすら汗を掻いていた。なんで、と思った。なんでこの人が、当然のように、ここに。連れていたはずの人は、いない。忍足はあのあとあの連れに別れを告げて、そうしてここまでやって来たのか。何の理由があって、何のために。
  とっさには声を取り戻すことが出来ないくらい、大いに驚いている俺を見て、忍足は少し表情を改め、それから唐突に、俺の腕を掴んだ。引っ張られて、廊下に出る。つきあたりにはちょうどクラスメイトの理科係である男子が歩いてきていて、忍足はその男子に、「日吉さん、ちょお具合悪いみたいやから、俺が保健室連れてくから。センセにそう言っといたって」と、よどみなく言い切った。なんでここに上級生が、とか、なんであんたが連れて行く、とか、ありありとその顔に出ている男子生徒の横を抜けて、忍足は平然とした様子で俺を引っ張っていく。階段を上り、フロアを上がって、屋上へと続く踊り場まで来たところで、俺はようやく我に返って、その腕を振り払った。抵抗もしない忍足の腕は、すんなりと離れる。無感情な瞳で俺を見返してくる忍足を、俺は盛大に睨み付けた。「なにを、」と、喉からはかすれた声が出る。人間、驚きすぎると声帯がおかしくなるんだということを、俺は初めて知った。


「なんなんです、何がしたいんです、あんたは!いきなりこんなとこまで引っ張ってきて、ていうか、何であんたが、なんでこんなところまで、」
「まあ、落ち着き」
「これが落ち着ける状況ですか!!!」


叫んだところで、予鈴が鳴った。青くなる。身をひるがえして階段を下りようとすると、忍足の足がその行く手を塞いだ。嫌味なくらいに長い。なんなんです!!と怒鳴りつけると、大丈夫、日吉のことはあの男の子がちゃんとセンセに伝えといてくれるさかい、と忍足はそ知らぬ顔だ。怒りで頭が沸騰するかと思った。蹴り上げてやろうと足を踏み出したがヒラリと避けられて、殴ってやろうと腕を振り上げたらその腕を掴まれる。そのまま組み手に持ち込んでやろうかと思ったが、階段でそれをやったらシャレにならない事態になりかねない。精一杯の抵抗で睨み上げると、忍足は「ほんま、日吉は暴れん坊のネコみたいやなあ」と苦笑いを浮かべた。


「まあ、そう睨まんといてや。別に取って食おうと思っとるわけと違うで」
「じゃあ一体何の用事があって俺をこんなとこまで引っ張ってきたって言うんです!!俺にはあんたに話す用事なんか、これっぽっちもないんですけど」
「うん、俺も用事があったわけやない」
「ふざけてんですかあんたは!!!」
「ツッコミきっついなあ。別にふざけてへんよ、真面目やって」


本気で怒り心頭に達している俺に対し、忍足があんまりいつも通りに、どうどう、と皮肉っぽく笑うので、俺の腕は激情にわなわなと震えた。テニスコートの脇、フェンスのそば、待ちぼうけを食らっている俺の定位置に、忍足はいつもこんな様子でやって来ていた。意味のない話、くだらない冗談や世間話。明るく花やいで笑う鳳と、その笑顔をまっすぐに見つめかえして話す宍戸の姿を目で追うとき、忍足は必ずやって来た。どんなに邪険にしても、冷遇しても、毎日必ずやって来た。何や、退屈そうやなお姫さん、と。ああ、そうだ。たったひとり、俺のガキくさい宍戸への思いを看破していたこの人が、何の意味もなく、俺なんかを構い立てしに来るわけがない。自然にわきあがってくる冷笑をそのままに、俺は強く腕を振り払った。また、忍足の指がするりと離れる。こちらを見つめてくる黒い瞳から、段を上がって距離をとり、ハ、と鼻で笑い飛ばした。


「忍足さん、あんた、真面目の意味取り違えてるんじゃないですか?真面目な人間は、授業前の後輩こんなとこまでいきなり引っ張ってきたりしないんですよ。あんたはいつもそうやって、俺をからかってふざけて、一体何がしたいんです?俺をからかってそんなに楽しいんですか?」
「ふざけてへんって」
「じゃあなんだって言うんです!!!!」


金切り声のような声が出た。悲鳴じみてるな、と、まるで他人事のように思う。


「俺にはやらなきゃならないことがあるんだ、あんたなんかに、…こんなことで止まってる場合じゃないんですよ!!あんた、何なんですか、俺に同情してるんですか?いつもいつも、テニスコートで、おあずけ食らってる俺を見て、かわいそがってるってわけですか。くだらねえ。俺は、あんたなんかに哀れまれるほど、落ちちゃいないんですよ。あんたなんかに!!俺はただ、ただ―――!!」
「日吉」


名を呼ばれる。静かな声なのに、何か有無を言わさぬ響きがそこにはあって、俺は黙った。沈黙が訪れ、我にかえると同時に、にわかに俺はこの男が恐ろしくなる。俺は一体このひとに、何を言われるんだろう。強さの最果てを指摘されるのか、弱さの底を見下されるのか、男にも女にもなりきれない空白を、嘘と疑心に満ちた汚さを、軽蔑されて笑われるのか。どうか、どうか何も言わないでほしい。俺自身にも宍戸にも、そして鳳にもなにひとつ。

ぎゅっと、目をつむって、俯く。忍足はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口火を切った。












「日吉は、素直でまっすぐな子ォやな」












は、と思って、顔を上げる。見上げた忍足は笑っていたが、それは俺が予想していたような嘲笑でもなんでもなく、ただ穏やかなだけの微笑だった。いつもの皮肉っぽさはなりをひそめ、静かで優しいだけの、笑顔。何故か、気圧されてつばを飲むと、忍足は段を上がり、もう一度、「日吉は素直なええ子や」と言った。やっと、言葉の意味が飲み込めて、同時に、何を言うんだこの人は、と思った。同情の果ては、見当違いの慰めか。せせら笑う。あきれ果て、素直という言葉の意味を、取り違えているにも程がある、と思った。よりにもよって、一番似合いもしない、バカげた言葉を選んできやがって。


「あんた、何言ってるんですか?素直ってのは、あの単純犬ッコロみたいな奴の事を言うんですよ。バカ正直で、一直線に前しか見えてない。何があろうが自分の気持ちに迷ったりしない、あいつみたいな奴のことだ」
「うん。チョウタロちゃんも真っ直ぐで、素直や。でも、日吉もそうや。真っ直ぐで正直で、素直なええ子や」


忍足ははっきりとそう言った。黒い瞳が、まっすぐに俺を見ている。何を知ったようなことを、と、激情が胸を駆け上がり、俺はまた悲鳴のような声を上げた。


「だから!!あんたは何を根拠に、そういうことを!!!」


忍足は笑っている。気がふれたみたいに怒鳴る俺の声なんて、少しも気にならない、と言わんばかりの、悠然とした表情だった。










「チョウタロちゃんが大切なんやろ」










穏やかな声で、忍足はそう言った。何を言われたかわからず、黙って目をみはる俺に、忍足はそのまま、流れるような声で言葉を続ける。





「大切やから、傷付けとうないんやろ。そんで、傷付いたチョウタロちゃんを見て、宍戸が傷付くん見るのも嫌なんやろ。そういうふたり見て、自分が傷付くんも嫌なんやろ。それの何が悪いん?そんなん、当たり前の事やん。自分が傷付くんもヒト傷付けんのも怖いん、当たり前やん。正直な気持ちやんか。強いも弱いも、そんなん関係あらへん。日吉が真っ直ぐやないんやったら、日吉を素直と呼ばへんのやったら、世の中わかりやすくみーんな悪や。そんなん、おもろないやんか」





忍足の言葉は淀みなかった。俺は声を忘れ、ただただ目を見開いていた。頭の中には、この人は何を言っているんだと、理解できないと、ただそんな気持ちだけがあって、本当に、意味なんかひとつもわからなくて、それでも何故か、何故かどうしても、まっすぐに俺を見つめてくる忍足の表情から、俺は目を離すことが出来なかった。何かを言わなくてはと、反論しなくてはと思うのに、声が出なくて、唇だけをかすかにふるわせる俺の指を、忍足の指が握る。俺をじっと覗き込んでくる忍足の表情は、いつの間にかいつものあの余裕めいた皮肉っぽい笑顔になっていて、けれどそれでもどこか少し、何かが違った。






















「日吉。日吉は素直なええ子ォや。お前がお前を信じてやれんでも、俺は本気でそう思ってんねんで」






















いつの間にか、俺の目からは涙がこぼれだしていた。思い返すのにも苦労するくらい、久しぶりに流した涙だった。拭うことも、しゃくりあげることも忘れ果てるくらい、その行為はあまりに遠い出来事だったので、俺はただ、無表情のまま、あとからあとからあふれるそれらを、そのままにすることしか出来なかった。忍足は、そんな俺をちょっと苦笑して見ていたが、やがて外を向いて、それからは屋上に続くドアの向こうの、どうしようもないほどの青空を眺めていたようだった。遠く近く、グラウンドからの喧騒が聞こえてくる。随分と長い間、俺と忍足はそこに立っていた。つながれたままの指先だけが、忍足の、かすかな温度を伝えてくる。それまで掴まれた力の中で、もっともたよりなく、すぐにでも振り払えることの出来るはずだったその指を、俺はなぜだか、どうしても、離すことが出来ないままだった。


(to be continued…)







あとがき


サイト始まって以来の短期更新です!これでも!(土下座)何か青くさい話になっちゃってハズカC!でも忍足のこの台詞はずっと前から考えてたものだったので、今回書けて良かったなーと思います、他人事のように。なんにせよ、お読みくださりありがとうございました!