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キスをしたら、彼女は泣いた。 もちろん、そんな空気なんかかけらも感じ取ってなかった俺は、それはもう見事にパニックになって、ごめん、すまん、許したって!!と思い付く限りの謝罪の言葉を並べ立てたが、彼女は俯いてただただ泣いている。これだから、俺は恋愛なんか向かないんや。謙也はデリカシーがない、鈍感や、セッカチのくせに鈍クサすぎる。幅広い世代から受けるありがたい評価を、俺は忘れたわけじゃない。これがあの憎そい従兄弟だったら、女の子の気持ちなんかきっと手に取るようにわかるんだろうに。結局俺は、どうあがいても侑士みたいにスマートにはやれへんのか。 自分で蒔いた種なのに、そんな風に自棄になって唇を噛んでいると、彼女はやっと泣き止んで、よわよわしく微笑んだ。付き合い始めてから1番きれいに見えるその顔に、どきり、ではなくぎくり、とした俺を見上げながら、彼女はゆっくりと、 「忍足君はやさしいね」 ありがとう。そう囁いた。そしてそれが、俺がその子の「彼氏」でいられた最後になった。 「俺、何があかんかったんやろう…」 げっそりと沈み込んで机に突っ伏す俺に、白石は一瞥も寄越しはしなかった。ノートの上、白い指が端正な字で課題をすらすら解いていく。 「まあ、何がアカンかっちゅうたら、そら謙也が鈍感すぎるってことに全部が集約するんやない?よう言うやん、女心は秋の空に似て、って。もう少し、いろんな場面で気ィ利かせたらんと」 「できるもんならやっとるわ!もーアカン、女子の心は数学より物理よりよっぽど難解や。どっかに女心の攻略本みたいなの、落ちてへんかなあ…」 「アホ、そう簡単に解き明かされて堪るかい。女には女相応の意地っちゅうもんがあるねんで。大体、そんなマニュアルがあったところで、鈍感なお前の事や、どうせまたどっかしらでミスるんちゃう?」 バッサリと切り捨てた白石が、やっとノートから顔を上げた。誰が見ても100点満点をつけるだろう、完璧な笑顔。同級生の白石蔵ノ介は、歯に衣着せないさばけた言動と癇のない態度が付き合いやすい、俺の数少ない女友達の一人だった。テニススクールや部活での付き合いを入れれば、縁はもう5年程になる。男テニのヒラ部員の俺に対し、白石は2年の頃から部長として女テニを率いてきたつわものだった。その上、文武両道・品行方正、おまけに容姿端麗、という聖書にも似た優等生ぶりから、周囲からバイブルというあだ名で呼ばれている彼女には、成績の面でも素行の面でも世話になりっぱなしで、とにかく頭が上がらない。容赦のない物言いに打ちのめされながらも、「白石は俺んこと、ほんまようわかっとんなあ…」と呟くと、「任せとき」、という端的でそっけない返事だけが投げ返された。ほんま、下手な男より頼もしいわぁ。とほほ。 「…そんで、何て言ってフラれたって?」 「おん?」 ぼんやりしていて聞き逃し、間抜けた声で生返事した俺に、やから、と、少し強い口調で白石が繰り返す。言いにくい事を何度も言わせるな、と、苛立った気配。遠慮がないようでいて、白石はわりに気配りの人間なのだ。 「やから、フラれた時、何て言われてん。その子に」 「あぁ……」 遠い声が出る。ゆるい栗毛のウェーブヘアが、かわいらしい子だった。委員会で一緒になった、同学年の女子。告白されて、有頂天になって付き合う事になったけど、はは、オチはこんなもんや。彼女の最後の言葉は、忍足君は優しいね、ありがとう、だからごめんね、もう付き合えない―――たったそれだけ。付き合い始めて1ヶ月、そう、やっと1ヶ月やったのに。 俺はアホやし、若干…、……多少?鈍感なので、俺が優しいと別れなきゃならないっていう、その言い方からしてちっともわからへん。そもそも、俺は別に特別優しい人間ってわけでもあらへんのに。あの子は何で、あんな事を言ったんやろう。 だけど白石は、彼女の最後の言葉に何やら思い当たるふしがあったようで、少し驚いたような顔をしたあと、仕方がなさそうに笑った。「彼女、謙也んこと、ホンマに好きやったんなあ」、と何だかしみじみと言われてしまって、俺は返す言葉がなくて黙り込む。フラれ男にそんな台詞、慰めにもならんっちゅうのに。 「まあ、お前には酷な試練やったかもやけど、その子の事はあんま責めんといたり。俺には、せやな、その子の気持ちがわからんでもないで」 「おん!?ちょお、どん辺りが?そもそも優しいとか優しないとか、そっからしてサッパリ…ちゅうか俺は別に、」 「優しないって?謙也は優しいよ。お前はわかっとらんのやろけど」 妙にきっぱりと断言されて、ぱちり、と瞬きする。白石は真顔だった。でもそのうち、俺が呆気にとられている事に気が付いたんだろう、ややの間をおいてから、「ちょお、やりにくいわ、そんな本気にせんといて」、と肩を竦める。っちゅーか冗談なんかい!!怒ればええのか落ち込めばええのかわからずムガムガしていたら、ふと向かい合う白石の席の隣に誰かが立ったことに気付き、顔を上げる。 来客は、仏頂面ここにきわまれり、といった風情で、いっそ堂々とそこに佇んでいた。パンキッシュなベリーショートの黒髪に、耳に並んだいくつものピアス。上履きのカラーは俺達と違って黄色く、下級生のものだ。目付きは剣呑で、一見するとただのジャリガキのようだが、しかし未成熟な細身の体は、どう考えても男のものではない。――俺はこの子を知っている。同時に来客に気付いた白石が、「あれ」、と声を上げた。 「なん、財前、いつの間に入って来たん?呼べば出て行ったのに。3年のクラスやっちゅうのに、相変わらず度胸あるなあ」 「よう言いますわ、話に夢中でこっち気付きもせんかった癖して」 「そらすまんかったな、コートの鍵、返しに来てくれたんやろ?わざわざおおきに」 「……別に」 その少年のような少女は、財前光という。白石の女テニの後輩で、新人戦での活躍を讃えて選ばれた、2年生で唯一の正レギュラーだ。次期部長候補にと、白石がよく直で可愛がっているので、その流れで俺ら男テニメンツも何度か交流があった。小柄でシンプルな顔立ちに似合わず、とにかく度胸が座っていてふてぶてしい口をきく財前を、生意気だ、可愛くない、と苦手にする同輩の存在を知ってはいたが、別に本人は喧嘩を売りたいだとか機嫌が悪いわけではないらしく、純粋に単なる癖でそうしているだけらしい。そのチグハグなんだか素直なんだかわからないところを、俺は割と気に入っていた。何より、白石が評価する人間には、そうされるだけの何かが必ずあることを知っている。 ぼけっと見上げる俺に気が付いたんだろう、当の財前がうろんな眼差しで見下ろしてくる。得意の皮肉げな微笑(微笑、ちゅうても決して“笑み”と呼べる範囲ではなく、口許を嫌味に片方ゆがめるだけのもん!)付き。……まあ、確かに先輩に向ける顔じゃあらへんけどな、これ。ちょお生意気にすぎるわ。 「なんガン付けよるんですか、謙也さん。喧嘩ならめんどいから買いませんよ」 「おっ前な……ちょお見てただけやないかい、人をヤーさんみたいに言うなや」 「ま、謙也と財前じゃ確実に財前に軍配が上がるわな。謙也ドヘタレやし。財前、いっちょ金的に一発食らわして黙らしたり」 「そりゃ爽快っすわー」 「何処が!!寒いわ!!ゾッとする事言わんといて!!ちゅーか少しは憚れやお前ら、オンナノコやろ!!」 思わず股間に恐怖を感じて内股になると、白石はそれこそ爽快に笑い、財前は「かっこわる」、と無表情でよそを向く。かぁー、憎たらしい! 「そないな事言うて、お前俺ん試合とか1回も見たことないくせに!!見たれ、浪速のスピードスターの勇姿!飛び上がって、謙也さんお見それしましたーってなるねんからな!!」 「お見それしましたって、なんすかそれ、キモッ。知ってますよ俺、そないな大口叩いてるわりに去年のバレンタイン、白石部長のもろたチョコの数のが謙也さんより圧倒的に多かったっちゅうこと」 「だぁ、ほっとけや!チョコの数がなんや!!男は数やない、質で勝負する生き物なんや!!」 「質も何も、お前去年クラスの義理チョコ以外もらわれへんかったやん……」 「やかまし!!黙らっしゃい白石!!」 ったく、ほんまこいつらかわいげあらへんな!!ブチブチ言い募る俺だったが、こちらが視線を外した途端、自分からよそを向いたはずの財前になぜだか感情の読めないまなざしでじっとこちらを見つめられ、俺は不意に、あれ、こいつ別に何か言いたいことがあるのかな、と思い当たる。さっきからいやに絡みよるし、財前は口数が少ない(その上喋ったと思ったらほぼ悪態だ)代わりに「目線」がものを言う、というのをかつて白石に聞いた事を思い出したからだ。けれど「なん?」と向き直って問い掛けるや否や、財前はちょっとぎょっとしたように肩を揺らし、ほんの僅かだけため息のようなものをこぼして、「ほな、俺はこれで」と足早に教室を出て行ってしまった。あっという間に見えなくなってしまった黒髪にポカンとしながら、「絡みたいお年頃なんやろか…」、と話を振ると、白石が心底あきれ返ったような顔で、 「アホか。あいつなりに気ィ遣っとんのがわからんのかいお前は」 「え。気ィ遣うて、何に?」 「失恋した謙也君に、に決まっとるやろ。ほんまどんだけ鈍いねん…。あの子、お前が気付く随分前から、そこんドアのとこでこっちの様子ずっと見てたんやで」 「はあ!?ほんまに!?」 「嘘ついてどないんすんねん、そんな事。ま、そーゆーわけで、さっきの話はあらかた聞かれとったんやろな。あの憎まれ口は、あれであの子なりにお前の機嫌を計るリトマス紙、っちゅーわけや」 「ふはあぁ………俺、かっこわる」 「かっこいいつもりでおったん?」 バッサリと切りつけられて、ぐうの音も出ない。別に、別にかっこつけとるつもりやないけど、後輩の前でのメンツくらい、俺にもあるんやもん……と沈没していると、不意に今まで向き合って会話していた白石が正面へ向き直った。目は、財前の去った廊下に向いている。視線はどこか遠い。 「まあ後は、純粋に“気になった”んちゃうかな」 「何を?」 懲りずにまた単純に聞き返した俺に、白石は頬杖をつき、薄い笑みを唇に浮かべた。けれど、どう見ても「本当に」笑っている顔には見えない。時々、白石はこういう表情をする事があった。 「んー?俺とお前がようさん喋っとる意味を、ってとこ」 「はぁ?さっぱり意味がわからん」 「うん、わからんのやろね、謙也は。それがお前のええとこで、そんで決定的に駄目なところや」 白石ははっきりとした答えは寄越さず、そんな風に答える。ますます意味がわからなくなってむっと顔をしかめた俺に、白石は仕方のなさそうな笑顔になって、 「俺も複雑な立場なんやて。せやから、そないな顔せんとき。浪速のスピードスターが台無しや」 とだけ言って、あとはすっかりいつもの隙のない優等生の顔になり、黙ってしまった。それがお前のええとこで、決定的に駄目なとこ――なんとなくつられて黙り込み、白石に言われた言葉をぐるぐる考える俺の脳裏にふとよぎったのは、あの時“元”彼女のあの子が言った、最後の言葉だった。 忍足君は優しいね、だからごめんね、もう付き合えない――。あの子は、なぜ最後にその言葉を選んだんだろう。たよりなく震えて去っていった少女の背中を思い起こしながら、俺は名前の付けられないもやもやした感情に、腹の底が重くなるのを感じていた。 (to be continued…) あとがき趣味に走ってごめんなさいでも書くのめっちゃ楽しいorz 世界観的には忍若女体の世界と連結してます。「君という花」の忍足と「マイネーム、イズ。」の忍足がいとこ同士。いずれ四天のキャラみんなを出したいです。それにしても、わたしは謙也のことが好きな自覚はあったけど、意外に白石のことも研究対象として好きなんだな、と気が付きました。わりと四天でいちばん人間くさい子のような気がする。書きがいがあります。財前のことを幸せにしてあげたいのと同じくらい、でも違うベクトルで、白石の幸せというものを追求したい。 |