|
それは不思議な感覚だった。重力にさからい、まるで風のように鳥のように、中空に浮かぶ自分がいる。その自分が見下ろす視界の先には、もうひとりの自分が立っていた。真っ暗な夜の中、たったひとりで門前に佇み、しかしきつく眦を吊り上げて、“かれ”は屈辱と怒りでわなわなと手を震わせている。ああ、これは「あの日」の俺の姿だ。少年はぼんやりとそう考える。己の父からその口で、家を出るよう告げられたあの日の。俺はきっと、あの日の夢を見ているのだ。 『父さんは、俺の何が驕っているって言うんだ』 夢の中、かつての自分はきつく歯を食いしばり、ただひたすらに、数日前に一族総領である父から言い渡された宣告だけを回顧していた。乱世の倭国、魑魅魍魎の跋扈するこの時代に、武州、武蔵の国を代表する武芸一族の末息子に生まれた少年は、物心付かぬ内から武具を取り、言葉より先に魔のものとの戦い方を学んできた。武芸の一族に生を受けた以上、一族の男は成人した暁には、誰もが依頼された退魔の戦いに出陣しなければならない。民の命や生活を脅かす、国中の魔のものたちを排斥して回るのが一族の慣習なのだ。常に身の危険が付き纏う仕事だが、しかし次男とは言え誇り高く向上心に溢れる少年は、兄や先代の男たちの次点に甘んじて仕事をするつもりは全くなかった。だから来るべきその日には、総領の息子として恥じない働きが出来るよう、少年は来る日も来る日も鍛錬と稽古を重ね、慢心もせずに努力を重ねてきたのだ。実際、鍛錬では常に優秀な結果が出るまで己を鍛え上げたし、見習実戦に出た際にも、周囲の大人たちより遙かに多くの魔のものを退治して見せた。しかし、一族の正式な構成員として認められるはずの少年の元服の儀式の前日に、父は唐突に少年に、儀式の延期を宣告した。理由は、少年の驕りと慢心であるという。一族を纏め上げる総領の顔で告げた、父の物言いは真剣だった。 (若、お前は世界を知らなければならない。心が驕っていては、見えるはずのものが見えず、幻ばかりを追う事になる。お前は、世界を知らなければならない。だから、儀式は延期とし、お前には暫し退魔の修行に出てもらう。出立は明晩、これより早まる事も遅れる事も許さない。お前は早急に、旅の装備を整えなさい) 納得がいかず、何故なのかと声高に叫ぶ少年の言葉に、父は答えなかった。その理由をお前自身がわかるまで、屋敷に帰ることは許さない―――それが父の最後の言葉だ。少年は途方に暮れた。その上、もともと同門の子供たちの中では突出して腕っぷしの強かった少年は、それだけによくよく周囲からねたまれる存在で、今回目に見える形で「半人前」を宣告された彼を、里の者たちはせせら笑った。屈辱に唇を噛み締めても、しかし総領の宣告は絶対である。少年はとうとう理由のわからぬまま、その門戸から魑魅魍魎の跋扈する夜の国へと放り出されたのだ。――この夢は、その時の少年の姿そのものである。 『下克上だ』 かつての少年は拳を握り、低い声でそう呟いた。今に見ていろ、俺の力と優秀さを、きっと里中の人間に知らしめてやるんだ。心細さを奮い立たせ、門を追われた少年は夜の森の中へと踏み込んでいく。それをぼんやりと中空から見送りながら、少年――日吉若は、そういえばどうして俺の意識は今こうして、こんなところにあるのだろうと考えた。そう、俺はあの時このように、森の中を誰に見送られる事もなく旅立っていったはずだ。それがどうして今、夢になってあらわれる?この夢を見ている俺は、一体今何処にいるんだ。 思い立った時、急に視界に光が射したように感じて、少年は目を細めた。眩しい。ああ、光と熱を感じる。陽光が体をあたためて――― 「若!!若、起きたんだね!!!」 眩しさと、自分の名を呼ぶ甲高い声に掬い上げられる形で、夢の中にあった少年・若の意識は浮上した。重たい瞼を持ち上げた先には、大きな青い目をうるうると潤ませた、銀髪の髪の少年の顔、どアップ。思わず、げ、と呻いた若は、しかし己の喉が渇きにひりつき、まともな声を発する事すらままならないことに気が付いて、顔を顰めた。横たえている全身が重く、そこかしこが鈍く痛む。特に右腕と左足の痛みはひどくじくじくと疼いて、たまったものではない。渋面になる若に、感極まった様子でいた銀髪の少年が、慌てて若の背に手を入れて半身を助け起こし、白湯の入った湯飲みを手渡した。左腕ならば動かないこともなかったので、若は黙ってそれを受け取り、喉を潤す。よく見れば、襦袢姿の己の体は見える範囲だけでも包帯だらけで、頭にも頬にも布が当てられている感触があった。一体何がどうなってこうなったのかさっぱり思い出せず、無表情で若は混乱する。横になっていた部屋自体は、しつらえの良さから明らかに上流階級の貴人の屋敷といった風情であるが、まるで見覚えがなかった。だめだ、わからない。 「長太郎、説明しろ。ここは何処だ。どうして俺はこんな所に、こんな状態でいる?」 どうにか出るようになった声で問い掛けると、感動した様子で表情を歪ませていた、長太郎と呼ばれた銀髪の少年が、ギッと眦を吊り上げる。涙目なので迫力はこれっぽっちもないが、まなざしは真剣だ。ああ、面倒なスイッチが入りやがったな、と、若は何処か他人事のように考えた。 「どうしてだって?そんなの、俺が若に先に聞くことでしょ!どうしてひとりで勝手に行っちゃったの!!俺が付いてればこんな事にはさせなかったのに、若はほんとにいっつもいっつも心配ばっかりさせて!!こんなんじゃ、里に戻ったところで俺も君もお館様にあわせる顔がないじゃないか!」 若の耳元、大声で喚くこの少年・長太郎は、若の旅のたったひとりの同行人である。いくら武芸に秀でていたところでまだまだ経験の浅い若のため、父がこのたび手ずから選んだ付き人だった。年の頃は若と同じ程度。すらりと背が高く、銀色の短髪に青い瞳を持つ整った風貌の少年だが、しかし彼、長太郎は人ではない。驚くべき事に、彼の本性は犬神なのだ。 武蔵の国に古くからその名を知らしめる武芸一族の日吉一門は、その立ち上げの頃から、里と隣り合わせの鎮守の森・鳳森の守り神である、犬神の一族と親交があった。何でも日吉一門の開祖が、怪我をして動けなくなっていた鳳森の犬神を助けたことが縁になったらしい。それ以来、鳳森の犬神たちは一門に協力を誓い、里を鎮守し守護する番人の役割を果たしてくれているのだ。長太郎はその犬神一族の末の眷属なのだが、まだ生まれて数十年、神の中では末っ子の存在だ。そのためかやたらと同じ末息子である若に興味を持ち、ちょくちょく今のような人型を取っては里にやって来て、若本人も覚えていないような赤ん坊の頃から今に至るまで、たびたびちょっかいをかけてくる変わり者だった。また、性格も神とは思えないほど穏やかで日和見主義の長太郎は、その徹底した個人主義と無愛想さから里の中で浮きがちだった若のことを、いつもいつも気にかけていた。今回の旅の同行も、もとは長太郎の方から直接総領に働きかけたものであったらしい。神としては経験が浅い長太郎であるので、旅の同行は長太郎本人の修行にもなると犬神の長が口ぞえしたこともあり、かくして若と長太郎、公認のふたり旅が始まったというわけだ。 そんな変わり者でお人よしの長太郎だが、本来の姿である銀狼の形に戻った時の戦闘力は侮れたものではなく、若はこれまでの旅でもいつも、彼の補助に助けられていた。その実力は買っているし、また彼の天真爛漫さに助けられているとも思っている。しかし、必要以上に自分を過保護に扱ってくる長太郎に、若がたびたび辟易しているのも事実であった。どうやら長寿の神にとっては、若の存在は生まれたての頃から今に至るまで、さしたる違いなく見えるらしい。鍛錬のさなか、若が指先ひとつ怪我するだけで大騒ぎする長太郎には、若の実の両親さえ苦笑するありさまだ。今回若が負った怪我の数々は、世界が引っ繰り返るほどの衝撃を長太郎に与えたに違いなかった。 「若はいっつもひとりで何でもやろうとしちゃうんだから。少しは俺の気持ちも考えてよね!俺は君を助けたかったから一緒に来たのに、これじゃ意味なんてないじゃないか!若が血まみれになって帰ってきたのを見たとき、俺がどれだけ、肝を冷やしたか……」 思い出したのか、長太郎が急激に声を詰まらせて黙り込んだので、意地っ張りの若もさすがに罰が悪くなって、唇を尖らせる。しかし、このまま長太郎の説教を聴き続けていたのでは話にならない。肝心の事がわからないままなのである。若はひとつ、嘆息して、湯飲みを畳に置いた。 「…説教なら、後で聞いてやる。それより、俺が聞きたいのは今お前が最後に言ったことの辺りなんだよ。どうして俺はこんな状態でここにいるんだ、大体、ここは何処なんだよ」 無愛想でつっけんどんな口調は、若の癖のようなものだ。さめざめと涙していた長太郎は、その若の物慣れた口調にやっと気持ちを落ち着けたようで、いくぶん平静を取り戻した声音で、「駿河の国、庵原の里の領主様のお屋敷だよ」と告げた。 「記憶が混乱してるんだね。若は駿河の国に入ってすぐ、領主様からのご依頼をお受けして、城で人を食らう邪鬼の退魔を引き受けたろ。そいつの退魔自体はすぐに済ませたけど、その後、邪鬼の巣そのものは違う場所にあるって言い出して、若ったらそのまま黙ってひとりで出かけて行っちゃったんだよ。それでそれっきり、こんな状態。2日前からずっと、眠ったままだったんだ」 「2日間…」 口調は幾分恨みがましいが、長太郎の説明は混迷していた若の記憶をいくぶん整えてくれた。そう、その通りだ。思い出した。夢で見たあの一門出立の日から、1ヶ月あまり。それまで滞りなく進めてきた旅路で、ここに至って2日間も寝込んでしまう失態を犯すなんて、なんという不覚だ。 1ヶ月前、総領である父から家を出されて以来、若は東海道に沿い、退魔の者の輩出がさかんだという、出雲の国を目指して旅を進めていた。修行者のメッカである出雲にさえ行けば、今よりもっと強くなる術を見つけることが出来るかもしれないと考えたのだ。強ささえ持っていれば、誰にも何も言わせない。向上心に溢れる若は、またその旅路の中途おりおりで、舞い込む退魔の噂を聞きつけては、修行になる、と魔のものを幾度も退治して回ってきた。ここ、駿河の国、庵原の里で舞い込んだ依頼も、その修行の一環のつもりで受けたのだ。 依頼は領主屋敷で人を食らう邪鬼の退治で、その邪鬼自体は若の手ですぐに屠り去られた。しかし若が退魔した鬼は母鬼で、今は産卵期だ。卵が孵れば、じき幼体がまた人を襲うかもしれないと考えた若は、その前に巣を焼き払う事を決めて、単身でその巣があると思しき、城の北、葦の原の朽ちた堂に向かった。長太郎を連れて行かなかったのは、連れて行く必要性があるような仕事と思えなかったせいもあるが、何より、長太郎の補助なしで退魔の依頼を完遂させたかったからである。武蔵から駿河に至るまでの旅で、若は今までも何度か退魔をして回ってきたが、そのどれもが長太郎の補助が真っ先に入ってのものだった。自分ひとりで依頼を遂行させたという、確かな誇りが欲しかった若は、だからその夜、長太郎が寝付いた隙にひそかに屋敷を出て、単身で葦の原へ向かったのだ。 その結果、堂に潜んでいた邪鬼の幼体たちは退治出来たものの、気を抜いた一瞬に隠れていた父鬼の一撃を喰らった若は、足に傷を負ってしまった。それでも何とか退魔は成功させたが、しかしその戦闘の際に松明を落としてしまい、堂の中で火に巻かれる事になってしまったのだ。満身創痍の状態、四方を火に囲まれ、死という言葉が頭を巡って恐怖した事をはっきりと覚えている。迫り来る業火の赤。自らが招いた事とは言え、簡単には忘れられない情景だった。 しかし、問題はその後だ。死を意識し始めたその瞬間から先の記憶が、霧のかかったように曖昧なのである。自分がどうやってあの堂から抜け出したのか、そしてどうやってこの屋敷まで戻ったのか、まるで思い出せない。この足を引き摺って脱出し、自分で歩いて戻って来たにしては、葦の原から屋敷までの距離は幾分か離れすぎている。どうにも釈然としないものが、若の胸の内に広がった。 しかし若がその疑問を口に出す前に、長太郎の方が、あっ、と声を上げて立ち上がった。ぎょっとする若の前で、彼はぱちりと両手を打ち合わせる。 「そう、若が目覚めたのなら、きちんと“オシタリさん”にお礼を言わなけりゃいけないね。今こちらへお呼びするから、若、ご無礼のないようにするんだよ」 「…………はぁ?」 長太郎の口から突然耳慣れない人物の名前が飛び出したので、若はぽかんと首を捻った。オシ、タリ。誰にお礼を言う、だって? ちょうどそのとき、すらりと細身の人影が座敷の障子に映りこみ、部屋への立ち入りの可否を問う男の声が外から短くかけられた。とたん、歩き出しかけていた長太郎が笑顔になる。「オシタリさんだ!」状況が飲み込めずにあぜんとする若を無視し、長太郎はにこりと破顔し、さっと障子を引いて室内に男を招き入れた。 現れたのは、若よりいくぶん年が上と思しき、修験者に似た風体の青年だった。袈裟、篠掛、濃紺の袴。襟足の長い黒髪に、同じ濡羽玉の色をした黒の瞳をしている。すらりと背が高く、端正な顔立ちをしているのだが、不釣合いな丸眼鏡をかけているせいか、いささか不恰好な出で立ちである。しかし本人はその不整合さにまるで気が付く様子もなく、飄々とそこに立っていた。ガラス越しに若を見下ろすまなざしは、いささかぶしつけだ。まるで品定めするように、しげしげとこちらの様子を眺めてくる。 あからさまに不信感をあらわに眉をひそめた若を、しかし青年はまるで意に介さぬようで、長太郎に案内されるまま、若の布団のそばにすとりと腰を落とした。「気ィ付いたんやな」と呟いた低い声は、西の方言まじりだった。 「見つけた時は真っ青な顔しとったから、どうなる事かと思ったけど。今見たら顔色も大分ようなってるみたいやん。安心したわ」 「………“見つけた時”?」 「若、この人はオシタリさん。若が葦の原で気を失って倒れているのを見付けて、里まで背負って連れて来てくれたんだよ」 長太郎の説明にぎょっとして瞠目した若に、青年――オシタリというらしい――は、肩を竦めて皮肉げに口端を持ち上げる。何処か達観した仕草だった。食えない男。ふいにそんなインスピレーションが、若の脳裏を掠める。この男に、俺が助けられた? 何でも、夜中に若が寝所にいない事に気が付いた長太郎が表へ出ると、里の北から焦げたにおいが漂ってきており、既に異変に気が付いていた野営の城兵たちが騒然となっていたらしい。焦げたにおいの中に鬼の死臭を感じ、やっと若に出し抜かれた事に気が付いた長太郎が慌てて里の外へ出ると、ちょうど血まみれの若を背負って里に近付いてきていたオシタリと行き会った。それからもオシタリは、パニックになる長太郎を宥めて医者を呼びにやらせたり、たびたび様子を見にやって来てくれたりと、実にかいがいしく自分たちの面倒を見てくれたのだと言う。長太郎の話に、忍足は苦笑して首を振った。 「大した事はしてへんよ。旅の途中、たまたま魔のものの気配の残りカスを感じて行ってみたら、倒れてるお前がいたってだけの話や」 「俺が?――堂の外に、ですか」 「そや。ま、堂ちゅうても、今はただの炭になってもうたみたいやけど」 「火は、貴方が消し止めてくれたんですか?」 「―――いや?俺が行ったときにはもう、単なる燃え跡になっとったよ」 オシタリはとぼけた声でそう言った。彼の言うことが確かなら、火は自然鎮火したということになる。あれだけの猛火だ、葦の原に燃え移っていたなら、風向きによっては火は里を襲ったかもしれない。大事に至らなかったとは言え、ひどい失態を犯してしまった。悔しさに顔が歪んだが、しかし過ちはこれからの己を奮い立たす事へとつながる“ばね”にもなる。胡散臭い人物ではあるが、長太郎が言うのだ、オシタリが自分を助け、生かし、ここまで連れて来てくれた事は確かなのだろう。誰かの手に助け起こされたなど屈辱甚だしいが、それは己の責任だ。相手がどんな人物であれ、受けた義理にはきちんと礼を尽くすべきである。無愛想ではあるが、基本的に若は礼儀を重んじる人間だった。襟を正してオシタリに向き直る。 「……この度は、誠にご迷惑をお掛けしました。心より、お詫びを申し上げます。申し訳ありませんでした」 「ああ、いや、そんな堅苦しくせんといてえな。―いや、いや正座はええて。足、怪我しとるんやろ。楽にしとき」 若の慇懃な態度に、オシタリがいささか面食らったように苦笑する。少しだけ、リアルな表情。姿勢を正そうとしていた若を手を振って止めて、彼は肩を竦める。 「日吉、やったっけ。随分お育ちがええんやなあ。そんなしゃちほこばらんでもええのに」 「恩を受けた相手に、礼を尽くすのは当然です。別に背伸びしてやってるわけじゃない」 「………口も達者やな。なんや、無駄に敵作りそうな性格やね」 「――そんな事、あんたに言われなくても自分でわかってます」 揶揄する口調で言われて、若は思わず言い返す。売り言葉に買い言葉で返すのは、若の習慣のようなものだった。意地っ張りかつ、負けず嫌いの極地から来ている言動なのだが、この物言いが無駄にいさかいを起こしてきたことは確かだ。「助けてくれた人に、なんて口の聞き方するの」と、すかさず長太郎からお咎めが入るが、「構へんって」とオシタリは笑った。 「威勢のいい子ぉは嫌いやない。ほな、改めて自己紹介させてもらおか。俺は忍足、いうんや。特にあてもなく、諸国をプラプラまわっとる。私度僧(※何処の寺院にも定住せずに諸国を行脚する修行僧のこと)みたいなもんやな。ま、依頼されれば魔のもの関係なく、何でもやらせてもろてるけど。よろず屋、言うたらプータロらしくて、ちょうどええかな」 「宗派は、なんなんです?」 忍足の出で立ちを見れば、彼が退魔に携わる職業についていることは明白だった。私度僧と名乗った事、袈裟を纏っている事から寺院の関係者である事は確かだが、それにしては服装から宗派の系統が読み取れない。日吉の問いかけに忍足は笑って、うん、まあ、いろいろ、と言葉を濁した。 「けど、そこそこ腕前は立つつもりでおるんやで。ま、胡散臭く見えるんは否定せんけどな。日吉、さっきから警戒心バリバリやもんなあ」 「………わかってるならその眼鏡、よした方がいいんじゃないですか。胡散臭さに磨きがかかって見えますけど」 「あかん。これは俺のコダワリなの」 つくづく、食えない男である。眉間に皴を寄せて眼光を険しくした若に、忍足はおおこわ、と両手を上げて笑った。そのまま、彼の視線は若の後ろ、長太郎へ動く。 「チョウタロくん、言うんやっけ。苦労してそうやなあ。こんな喧嘩ッ早いご主人様じゃ」 「余計なお世話です!」 「わかってくれますか?昔からこうなんですよ、若ってば」 「はは。神さん尻に敷くなんて、並の人間には出来へん芸当やなあ」 「――――!!」 忍足のなにげない言葉に、へらへらと笑っていた長太郎の顔がこわばった。若も息を呑む。今、彼は何て言った? 「今、なんて、」 「間違ってないやろ?チョウタロ君は日吉の従者で、神さんの眷属。違う?上手にヒトに擬態しとるみたいやけど、どっか化け方が足りてへんねん。神気がほんのちょびっとやけど、漏れとるよ。お狐さんやったらそんなミスはせえへんやろから――ほか4つ足の獣の神さん言うたら、そやな、お犬様ちゅうんが妥当な線とちゃう?」 忍足は皮肉げに微笑んだまま、なんでもない調子でつらつらとそう述べた。長太郎が唖然と口を開ける。なんということだ。長太郎は今でこそ少年の姿をしているが、本質は犬神らしく、銀の毛並をした大きな狼の姿である。しかしその姿で若に同行したのでは人目を引くし、異形のものが魔であるのか神であるのか殆どの民たちには判断が付かないため、誤解を招かないよう人里では常に人間に擬態して過ごしているのだ。長太郎は確かに犬神として未熟な部類だが、それでも変化に際しては犬神の長のお墨付きの技だったのに。漏れ出る微量な神気だけで、あっけなくその擬態を見破ってしまうなんて。ものも言えずに愕然としているふたりに、忍足はなおも言葉を続ける。 「日吉、いう名前にも覚えがあるで。武蔵の国に、確か武芸に優れた退魔の一門がおるって聞いたことあったけど、確かそこの一族も日吉、いうんや。何の理由かまでは知らんが、最近元服前の末息子が一門を出奔したいうんも聞いとる。それ、お前なんやろ」 「―――な、」 「一族揃って琉球伝来の古武術に長けとるっちゅう話やけど、どうやらほんまのようやな。お前の枕の下にあるん、それ、ローチン言う琉球の武器やろ。さしずめ、二人そろって武者修行いうところかいな。ま、その道中で無茶して死にそになってたら、世話ないけど」 俺に感謝せなな、と、忍足は軽く口端を持ち上げた。長太郎どころか、若本人の出自すら読み取っているなんて!生半可な情報量ではない。無意識に枕の下に差し入れかけていた左手をこわばらせ、若はギリ、とその笑顔を睨み付けた。たとえそれが病の床であれ、死の床であれ、日吉一門の子は必ず戦う術を枕の下に入れて休むのがしきたりである。闇の襲撃にも備えられるように叩き込まれたならわしなのだが、それさえも手に取るように忍足にはわかっていたらしい。あっけらかんと何もかもを見破る姿勢、只者ではない。実力の程は知れないが、魔相手にせよ、ヒト相手にせよ、相当の場数を踏んできているのだろう。忍足本人の語るまま、彼を単なるよろず屋の放蕩男だと甘く見ていては、どうやら痛い目に合うようだ。目に見えて動揺している長太郎を視線でおさえて、若はそっと嘆息した。眼光は緩めないまま、低い声で問い掛ける。 「――あんた一体、何者なんです。俺に、何の望みがあって近付いた?」 忍足はその問い掛けに、話が早いわ、と満足げに口元を綻ばせた。何処か悪戯っぽくまなざしを細めて、彼はおもむろに口を開いた。 「なあ日吉。俺と取引、せえへん?」 |