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「………取引、ですって?」 長めの前髪の下から、険しいまなざしで己を睨み上げる若に対し、向かい合う忍足の態度はまるで平然としていた。そや、と頷き、薄笑いを浮かべる口元から顎を右手でするりと撫でる。丸眼鏡の下の黒い瞳は、威嚇するような態度の若を揶揄するような色合いが浮かんでいた。 「なに、大した事じゃあらへんよ。別に助けた分の誠意を金で示せとか、身体で払えとか、そういうこと言いたいんとちゃうし」 「じゃあ一体何がしたいんだあんたは」 忍足に優位に話を進められているのが屈辱なのか、日吉の口調からもはや最初の頃の慇懃さはすっぱ抜けている。若は日ごろからあまり表情を表に出さないし、愛想や人当たりも殆ど気にしない方であるので、さも無感動な人間と思われがちだが、実際の彼は意外に頭に血が上りやすく、往々にして短気だった。大概の場面では基本的に冷静沈着に振舞えるのだが、意地や誇りや矜持や沽券――まあ、全部一緒の意味ではあるが――が絡んでくると、途端に辛抱が効かなくなってしまうのだ。要は、プライドが傷付けられるとたちまちキレやすくなる。落ち着きなよ、という意味で長太郎が若の肩に手をやるが、それをうるさげに払いのけて、若はイライラと言葉をかぶせた。 「屈辱だ。あんたみたいな下心があるような相手に世話を焼かれたなんて」 「下心ってなあ。無償で何でもこなしてやるほど、坊さんを聖人君子だと思わんほうがええで。特に俺は僧籍ってよりかは、単なる根無し草のよろず屋やし。しめるとこはしめとかないと、こういうご時勢や、こっちが行き倒れてまうやろ。本末転倒や。それに、大した事要求するつもりはあらへんて、さっきっから言うてるやん」 「だから一体何が欲しいんだ。あんたの話はまわりくどい」 「話は簡単や。俺を雇ってほしい。それだけ」 忍足はあっけらかんとそう言った。簡潔すぎて、逆に若と長太郎の方が唖然とする。雇う。誰が、誰を? 「………なんですって?」 「だから、日吉若クン、お前に俺を雇って欲しいって言うてるねん。なに、報酬はまけとくで。旅の間の旅費と諸費もろもろ、に、合計金額の2割を上乗せ、それポッキリ。どや?悪くない話やと思うんやけど」 よどみなくすらすらと言い切った忍足が、に、と口角を上げて笑った。抜け目のない表情だ。てっきり即金を積まされると思い込んでいた若は、あまりに予想の範疇外だった忍足の申し出に口元を引き攣らせる。出会ったばかりの、それもたいそう胡散臭く、信用ならないこの男を、自分が雇う?雇ってどうなる?報酬は旅費を含む経費とその2割、と忍足はのうのうと言い放った。という事は、雇った以上彼はこちらの旅に同行して回るつもりでいるのだ。なぜ?意味がわからない。本当に全く、意味がわからない。 「……わけがわかりませんね。何故俺があんたを雇わないといけないんです?荷物持ちですか?生憎人手は足りてるんです。そんな仰々しい旅でもなし、これ以上同行者が増えても荷物になるだけだ」 自分の背後でぽかんと大口を開けている長太郎を横目でちらりと見て、若は忍足の申し出を一刀両断にする。けれど忍足は薄笑いを止めない。とりつくしまもなく他所を向いた若を覗き込むように、忍足は胡坐を掻いた上に頬杖をついた。まなざしは揶揄するそれだ。 「じゃあ、訊くけど。自分、その身体で魔のものと戦えるん?」 「―――!!ば、」 「馬鹿になんかしてへんよ。現実問題として訊いてるんや。自分、古武術使いなんやろ。その身が資本の武術家にとっちゃ、右腕の火傷、左足の裂傷、どっちか片方だけでも致命傷や。武器は握れん、握れても支えきれへん、じゃあ戦いを避けるか。次は避けるための足が動かんのやろ。そんな状態でほいほいと旅立ってみぃ、さっきも言うたけど、こんなご時勢や、あっちゅう間に殺られてまうで。恐ろしいのは魑魅魍魎だけと違う、野盗も出れば追剥ぎも出るんや。退魔専門の日吉一族の末息子が、どういう経緯で旅に出たか、何処行くんかは俺もよう知らんけど、末路が同じヒトに殺されてしもた、じゃ、笑い話にもならへんで」 忍足は口調こそ笑っていたが、話の中身に容赦は全くなかった。息を呑んだ若は、咄嗟に何か言い返そうと唇を開いたけれども、反論の言葉は意に反して欠片と出てこない。結局俯き、ぎりりと唇を噛み締める。 口惜しいが、忍足の言う事はすべて真実だった。若の得物である琉球伝承の小槍・ローチンは、使い手の敏捷性と、弱点になるポイントを的確に突くことの出来る技術があって、初めてその効力を発する気難しい武器である。敏捷性は足の怪我によって封じられているし、更に攻撃の際に基点となる右腕にも重症を負っている今の若では、全力を振るい切れないのは確かだった。使い手であるからこそ、その重みは岩のように若の背にかかる。黙り込んでしまった若を見かね、今度は長太郎が口を開きかけるが、しかしそれより先に言葉を発したのはまたも忍足だった。 「チョウタロくん、日吉は俺が守る、とでも言いたいんか。その心意気は結構。けど、犬神さんはその技芸の枠が狭い。囲まれてもうたり、間合いを広く取る敵に当たったときが厄介や。元来自分は補助攻撃向きやろ。日吉が全快で動けて初めて、自分の補助が意味を成す。言うなれば自分らは二人で一組やったんや、どっちかが欠けてしまっては宝の持ち腐れと同じなんちゃうか」 その言葉もまた、辛らつではあるが事実だった。長太郎は戦闘の際、本来の姿に戻っての神力による補助攻撃と、その牙による接近戦が得手だ。だからこそ、若が全快で動き、長太郎はその周囲で補助攻撃にまわる。とりこぼした敵は長太郎がその牙で捕えて、とどめを若が刺す――それが二人の基本的な戦い方だったのだ。均衡が崩れたのは、すべて若の単独行動が裏目に出てからだ。未熟な二人組ながら、やっとあるべき戦いの型が出来始めていたのに、今それを己の不覚で無にしてしまったことが、若は今更になって悔やまれた。 沈痛な表情になって黙り込んでしまった若と長太郎に、忍足は苦笑する。別に苛めたいわけと違うんやけどな、とぼやいてから、しばらくの間の後、彼は肩を竦めて座り直した。 「まあそやから、俺を雇ってみんか、言うてるねん。俺、これでもそこそこ腕は立つんよ。自分らよりは旅の経験も長いから、魔のものについても多少造詣が深いつもりでおるんや。まあ、腕前見てもらってからでも決めるんは構へんけど、悪い話やないと、」 「―――お断りします」 忍足の言葉の途中で、若の再度の、しかし今度は静かな拒否の言葉が割り込んだ。忍足は眼鏡の向こうの眉を跳ね上げて、怪訝そうな表情になる。うつむけていた顔を上げ、長い前髪の下から忍足を見上げた若の顔からは先ほどのイラつきが消え、幼さを塗り替えるようなまっすぐで静かな覚悟が浮かんでいた。直にそのまなざしをぶつけられた忍足が、わずかに視線を眇める。 「………どういう意味?」 「ですから、そのままの意味ですよ。お断りします。俺の連れはこいつだけで十分だし、手一杯だ。あんたの力は必要ありません」 「くだらない意地とか見栄とか、張ってる場合とちゃうと思うけど」 「感情論で言ってるんじゃありません。確かに今のこの体たらくじゃあ、旅は一筋縄じゃいかないものになるでしょう。今度こそ死ぬかもしれないし、その相手は魔のものじゃないかもしれない。あんたの言うとおりだ」 「若」 想像したのか、長太郎がぞっとしたような声音で若を呼んだが、若は振り向かなかった。忍足を睨み上げる鳶色のまなざしに、ぎらぎらとした意思が宿っている。 「けど、そういう状況に自分を追い込んだのは俺自身です。ならば最後まで責任を取るのは俺自身であるべきだ。寧ろ今よりずっと自分自身を鍛え上げるための、いい機会になりますよ。下克上のね。俺は強くならなきゃならないんです、こんな目的中途でくたばって堪るか。例え血を吐こうが立てなくなろうが、俺は絶対に諦めない。武器を握れないなら素手で戦うし、走れないのなら踏み止まって迎え撃てばいいんです。あんたには頼らない。謝礼が必要だと言うんなら、金は纏めて用意します。だからその代わり、金輪際俺たちには関わらないでください」 かつて己を家から追い立てた父の、冷たい背中。追いつきたくても追いつけない、大きな背中。腕を磨いて強くなってあの背に並び、そしていつかは追い越してみせるのだ。そう誓った。確固たる信念、揺るがない強さ。生きる目的だったあの背中のもとに帰るまで、俺は絶対に死んでなんかやらないのだ! 場に沈黙が落ちた。睨み上げる若と、見下ろす忍足。長太郎だけがただ、視線をおろおろとさまよわせている。揶揄するようなそれではなく、いつしか無機質で冷たいまなざしとなって若を見つめていた忍足が、ふいに嘆息して俯いたのは、それから暫く経った後だった。 「―――向こう見ずやなあ」 ぽつりと呟いて、忍足が前髪の下で少しだけ笑った。その笑顔が先ほどまで頻繁に浮かべていたどこか食えないものとは違い、本当に、しかたないな、という風情だったので、若は思わず毒気を抜かれてぱちりと瞬いた。長太郎も同じだったようで、大きな灰色の瞳をまんまるに見開いて忍足を見つめている。笑顔はすぐにひっこめてしまったものの、どこか先ほどの余韻が抜け切らない様子の忍足は、眼鏡のガラス越しからやさしい瞳で若を見た。先ほどとまるで違った表情に、顔には出さずに狼狽する若に大仰に肩を竦めて見せて、彼は「じゃあこうしよか」、と口を開く。 「謝礼はいらない。報酬も払ってくれへんでええし、自分らの邪魔もせえへん。ただ、ちょっとした旅のおまけとして一緒に行かせてほしい。どう?」 「はあ?」 なんつったこいつ?再度毒気を抜かれて、思わず大声が若の口をついて出た。こいつ俺の話、ちゃんと聞いてたか、今?そんな若の心中を慮ってか、忍足が両手を挙げてどうどう、という仕草をとった。おちついて、と補足する声だけは神妙な様子だが、しかし顔がちっとも神妙でない。何せにたにた笑っているのだ。 「いやいや、ちゃあんと聞いとったよ。雇うって形でなくてええから、ただおまけに付いて行かせて欲しいってこと」 「あんたねえ……、言ったでしょう、俺は誰の手も借りるつもりはないんです。下克上は自分の手でやらなきゃ意味なんか」 「うん、だから必要以上の手助けはせえへん。邪魔もしない。金も施しも一切いらんよ。ただ自分らの旅を見届けさせて欲しいだけや。幸いよろず屋やから、時間はたっぷり有り余ってるしな。行けるんならどこまででもお供するで」 「い、言ってる意味がわからん!」 「そやね、意味なんかあらへんよ。ただ日吉に惚れ込んだってだけやから」 あんまりにもけろりとした様子で言われたので、若は一瞬その言葉を聞き流しそうになった。いや、聞き流しておくべきだったのかもしれないが、残念なことに若の聴力は、並大抵の人間とは比べ物にならないほどすこぶる鍛えられている。数秒の間の後、意味を理解した若は、おえ、と声には出さずに呻いて口元を引き攣らせた。何か物凄い男として不名誉なことを言われたように思う。気のせいであってほしい。 「……ハァ?」 「やから、日吉に惚れ込んだんやって。心意気に感服したっちゅうこと。だからこそ、近くで見届けさせて欲しいんや。うん、これは取引っちゅうより、俺個人の勝手なお願い事やな」 気のせいじゃなかった!あっけにとられ、真っ白になった若を尻目に、忍足はよいしょ、と声を上げて立ち上がった。背が高い。若より3寸は大きいだろう。頭の先から足の脚絆に至るまで真っ黒の装束は、さながら藤壺の喪に服す源氏の宮のようだ。例えが良すぎるかもしれないが。 「これ、もう決定事項な。嫌や言うても、付いていくから。黙って出立しようとしても無駄やで、隠れんぼの鬼も、鬼ごっこの鬼も得意なんや」 「なっ、な、な……!!!」 「うーんそやな、それでも嫌や言うんなら、こうしとこ。もしもちょっとでも日吉が俺に恩義感じてる〜っちゅうんなら、黙認、ってのが精一杯の俺への謝礼。どう?何とも出来へんようになったやろ?ま、悪いようにはせえへんから、そないに肩肘張らんと仲良うやろうや」 「っあ、あ、あっ、あんたねぇ……適当に気色悪いこと言って誤魔化すつもりだろ!そんなこと、あんたに一体何の利益があるって言うんです!!」 まだ衝撃から抜け切らない若が、それでも舌をもつれさせながら何とか問い掛けると、忍足は部屋の襖に指をかけたまま、肩越しにニヤリと笑った。もうすっかり、あの食えない男の表情だ。獣のように肩で息をして息巻く若に、彼はするりと更なる爆弾発言を落としてゆく。 「利益関係なく相手のそばにいたい、ってのが、至上の愛の形やないの?」 意味深長にささやいた忍足は、最後に若と同様硬直して石化している長太郎にちろりと目配せし、あとは来たときと同じように、颯爽と部屋を出て行ってしまった。互いに硬直したまま取り残された2人の間に、手触りの悪い沈黙が落ちる。長い、長い間のあと、先に何とか自我を取り戻した長太郎がおそるおそる若の肩に手をやると、くくくくくくく、と搾り出したような笑い声が若の喉から漏れ出した。ヒッ、と息を飲んで長太郎が耳を塞いだのと、烈火のような若の怒鳴り声が屋敷中に響き渡ったのは同時だった。 「あの野郎、絶ッ対許さねえ!!!下克上だー!!!!」 「………ほんまに、そっくりやなあ」 何事かと下男が駆けつけてくる屋敷の喧騒に紛れ込み、忍足はぽつりと、無感動な独白を漏らした。思わず唇から落としてしまったというような、そんなひとりごと。けれど再度顔を上げた忍足の表情に、影はすでに微塵もない。あとはくつくつ忍び笑いながら、悠然と濡れ縁を歩き出すだけだった。彼の命運を変える旅もまた、ここから始まろうとしていたのだけれど。 |