白石に触りたい。そう言ったら、当の白石はスッと無表情になって、それからおどけたように肩を竦め、とてもきれいな笑顔で、どうぞ?と笑った。キャスター付きの椅子に腰掛けていた制服の彼が、身体ごと俺の方へと向きを変える。俺はといえば、切望していた白石本人からの許可が出たというのに、押せばいいのか引けばいいのか狼狽していたら、ああ見えてわりあいセッカチなところのある白石に、「おいで」とでも言うように両腕を軽くひらかれ、いろいろな意味でおののく。……っちゅーか、なんか違くね?

これには、変な顔になった俺を見たから、というわけでもなく、白石本人も何をしてるんだろう、というばかばかしさがあったらしく、余裕ぶっていた笑顔はいつの間にか苦笑に変わっていた。けれど、許しが出たことに変わりはないので、その受容が撤回されてしまう前に、俺は膝で彼のそばににじり寄り、笑ったままの腕の中に、ぼす、と頭を預ける。少しの空白の後、小さな子どもを宥めるような手のひらが降ってきた。くしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜてくる、ゆるやかな感触は堪らなく気持ちがいい。気持ちがいい、のだけれど。



「…違うねん!!俺がしたいんはこーいうんと違くて!!」



ガバッと顔を上げた俺に、白石は驚いた様子もなくパッとホールドアップすると、たんたんとしたふうに、まあ、せやろうな、と肩を竦めた。今度は単純にあきれたふうに。今のじゃまるで、おかんと幼稚園児の心あたたまる交流やんか。日曜9時のホームドラマか!っちゅー話やで。



「ほなら聞くけど、謙也は俺を一体どうしたいん?」
「どっ!どうしたいって、」
「はぁん、なるほど、どもるような事か」
「バッ…ちゃう!ちゃうわ!」
「ちゃうん?」
「………ちゃうちゃうけど」



歯切れ悪く白状した俺に、白石はほら見ろ、と嫌みなふうに笑った。白石蔵ノ介という男は、とても完璧で優秀で、気配りも目配りも出来るできた男だが、一度気を許した相手には、こと容赦がないのである。そこまで追求してこんでもええやんか…デリケートな問題やねんでこれでも…

情けなくなって項垂れた俺に何を思ったのかはわからないけれど、白石はふいに真面目な顔になって、きれいな仕草で腕を組んだ。キィ、とキャスターが小さく唸る。それは部長である彼の、思案に耽るときの癖だ。何か難しいフォーメーションやプレイを指示したり、金太郎の並々ならぬ我が儘に悩まされた時なんかに、しばしば見受けられる光景だった。



「…まあ、お前がほんまに触りたいっちゅーなら、好きにすればええけど」



抱かれたろか。
しばらくの沈黙のあと、そんなことを言った白石に、俺は驚きの余り目玉が飛び出す思いだった。バッと顔を跳ね上げて窺った白石は、話題にそぐわぬほどつまらなさそうな、どうでもよさそうな淡白な顔をしていて、うーん、まあ予想はしていたけど、恥じらうでも青ざめるでもないわなあ。けれど、この無表情を額面通りに受け取っていたのでは、彼と付き合うには埒があかない。白石は感情の発露に用心深く、それがかれにとって負の感情に近ければ近いほど、そのかたくなさがなおさらな人間だ。この場面でこの表情を選ぶだけの理由が、白石蔵ノ介という男にはきっとあるはずで、それは白石と接してきた3年の間にしみついた、彼と親友であるために、俺が俺に必要としてきた工程だった。かたくなになった白石は、それはもう鉄壁と呼べるほどにわかりにくいけれど、当人がそう望んでそうしているからといって、わからないままでいていいわけじゃないというのが、俺の持論だ。平坦な顔をしているときは、白石の場合、むしろあぶない。警鐘がなった。



「白石、ほんまにそう思うてる?」



やんわりと、とか、別の切り口で、とか、そういう器用なやり方ができない俺は、おかしい、と思ったらもうそれをそのままぶつけるしかない。組まれたままの彼の腕をつかみ、問いかけると、白石は少し驚いた顔をして、それから「どういう意味?」と不機嫌そうに眉を跳ね上げた。言葉が言葉通り受け取られないことに、苛立っているふうだった。実はこのあたりが、俺と白石の決して相容れないラインで、わからないことがわからないままであるのが許せない俺に対し、白石は彼がわかられなくていいと決めたなら、もう未来永劫金輪際わかられなくていいと思う人種だった。このへん、何度口論になったか数えきれないくらいだ。もめてももめても決着はつかず、この話題はふたりの間で常に平行線の、ナイーブなしろものだった。



「ほんまのほんまに、好きにしたらええって思ってる?」
「ほんまもなにも、そう言うとるやん」
「それがおかしいねんって。やって俺もお前も男やん。男が男に好きにしたらええって、普通言えへんやん?」
「普通って誰が決めた。俺はええねん。そんなこと言うたら、お前が俺に触りたがるのやって普通とちゃうやんか」
「そっ…れはええねん!やって俺はお前が好っきゃねんもん!好きな奴に触りたい思うんは当然やろ!」
「せやったら俺も同じっちゅーことでええやろが。あんまりつべこべ言うと、一生やらしたらへんで」
「ぐっ」



ああ、風向きがあやしく。黙らされた俺をしり目に、白石はさっさとキャスター椅子から降り立ち、さっそうと俺を横切って、今度はベッドに腰かけた。「こういうことやろ?」と、不敵っぽくほほえんで。その勝ち誇ったような顔が癪で、「ああやったるわ!」と立ち上がり、自棄のような気持ちで白石のシャツのボタンを外してゆくと、まるで誰にも踏み荒らされていない新雪のような白の肌が垣間見えて、勝手にごくりと喉が鳴る。着替えの時に何度も見ているはずのそれなのに、頭がくらくらしてもうだめだった。……いやいや、だめだったじゃない、こういう時こそ落ちつけよ。なんか、いいように先走らされてへんか?白石の口車に乗らされて、頭に血がのぼって、俺がしたいのはこんな勢いにのまれるような、感情のままに突っ走るようなことじゃなくて。そういうことじゃなくて。














ぐるぐる考え込んで、シャツを握ったまま止まってしまった俺に、白石が手をそえた。強くも、弱くもない力で。は、と顔をあげると、先ほどの挑発めいた表情が嘘のように、彼は再びしんとした無表情で俺を見つめている。白石の端正な顔は、無ほど強い有になる。気おされて息をのんだ俺に、白石は穏やかな声で言った。



「謙也。お前が俺に触りたいっちゅーなら、なんぼでも好きに触ったらええ。お前は疑ってるみたいやけど、それは本気や。女とちゃうねんから、別に腫れもんとか壊れもん扱うみたいにせんでええ。手加減もいらん。むしろしたらぶん殴るで、俺は男なんやから」
「……しら、」
「ただ、いっこだけ約束せえ」



白石は、シャツを握ったままでいる俺の手を、きゅ、と、上から握った。やめさせようとも、促そうともしているふうに思えた。




「始めたんなら、絶対止めるなよ。一回でも、やっぱりやるんやなかったって思うんなら、中途半端に触りたいとか二度と言うなや。お前が一回でも、俺の前で、手を止めるようなことがあったら、俺は二度とお前に好きになんかさせたらへん。二度とや」




守れるな?首をかしげて、笑った白石は、いつも通り、とてもきれいで、穏やかな表情をしていた。全くもって、いつも通りの清廉な顔をしていた。それがおかしい。こんなことを言いながら、いつも通りでいるお前がおかしい。ああ、お前ときたら、ほんとうに、妥協ってもんを知らへんのやから。
俺は言葉を失い、わなないて、それから俯き、「アホ」、と言った。拗ねたような、みっともなく情けない響きになった。



「白石の、アホ」
「アホとはなんや。本気で言うとるんやで」
「本気で言うとるから、アホやねん」
「そうか。…そうかもしれんなあ」
「そうや。お前は俺をなめすぎや」
「そうか?それは頷けへん。やって俺はお前がこわい」



白石は笑って、ゆっくりとそんなことを言う。








「俺はお前がこわいよ。俺は男やから、体に傷がつこうがバックバージン喪失しようが?責任とれなんて言うつもりもあらへんし、気にもせえへんけど、でもお前だけは、お前のことだけは、こわい。意味がわかるか」







問われて、ゆっくり時間をかけながらも、頷くと、白石はちょっとしかたなさそうに笑って、それから、どうする、というように再び俺の手を握る指に力をこめた。俺は黙って、俯いて、―――やがてその握られた指を振り払い、白石の脳天に勢いよく、がつんとチョップをくらわせた。わりと本気で。あだっ、と、白石の声が響く。素がはみでた、本当の声だった。


「ちょ、おま、なにすんねん!」
「チョップした」
「そんなんわかっとるわ!俺が言いたいんは」
「お仕置きや。お前の言いたいことの意味はわかるけど、やっぱりお前は俺をなめとる。俺は執念深いで。あと俺、自分で自分に引くくらい、ちょっとお前んこと好きすぎる。お前こそ、中途半端な気持ちで、俺に好きにして〜とか言うてへんやろな。そんなんで言うてたら、俺こそ、二度とお前に触ったりでけへん」
「……そんなわけないやろ」


ブスッとした声が答える。俺は頷いた。ほんならええ。ええねん、白石。お前ときたら、ほんとうに。めんどくさくて強情で、愛しいやつやなあ。


シャツをひらくかわりに、そのやわらかな髪の中にてのひらをさしこみ、そのまま抱き寄せると、白石の体は抵抗するでもなく、俺の首すじにボス、と寄りかかってきた。あたたかい。空いていたもう片方の手で、はだけかけたシャツの肩を撫でると、俺より1センチせいの高い、しっかりとした背中はやや、ふるえて、やっぱりブスッとしたふうに、「手慣れとんな」、とぼやいた。実際の俺が手慣れているわけないことなんか、親友をやっていた彼こそがいちばん知っているはずなのに、それでもそんな台詞が白石から出てきたことに、なんだか笑えてしまう。だから心のままに笑って、笑いたいだけ笑って、ぎゅう、と腕に力をこめた。白石はもう何も言わないかわりに、スン、と鼻を鳴らし、一度だけスリ、と、そのてのひらで俺の背中にふれた。それだけで、もう俺は十分すぎるほどに知っていることがある。ああ、白石が好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。ほんとうに好きだ。今、この腕を離し、次にお前に触れた瞬間から、親友だった場所から絶対的に遠くへと旅立つふたりに賭けて誓う。俺は、絶対にお前を、離したりしないよ。







(fin)











あとがき






雰囲気すぎてすみません!男の子が、男の子を好きになって、男の子に触りたいと思うようになる、ということへの、当人たちの逡巡、というものを想像しながら書きました。白石と謙也は、同じだけお互いのことが好きなはずだと思うのだけど、発露表現が違いすぎて、平行線すぎて、そこどっちがどんなふうに折り合いをつけるのか、というのを考えるのが面白いなあと思いました。お読みくださりありがとうございました!