負けたなあ、と、彼は言った。あまり感情のこもらない、どうでもいい、といった風な声。準決勝が終わって、その足で戻った部室の中での話だった。顔を上げると、白石は窓の外を頬杖ついて眺めたまま、本当にどうでもよさげにぼうっとしていて、それはミスター・パーフェクトに珍しい光景ではあった、確かに。謙也の知っている白石はいつも背筋を伸ばして、泰然と笑っていることが多い。隙がないっちゅうよりは、わからなくしとる感じや、と、一度だけ大阪に遊びに来た従兄弟がつまらなそうにそう評したことを覚えている。得てして、白石はそういう不透明な性質の持ち主だった。あるのかないのか、いいのか悪いのか、優しいのか冷たいのかがわからない。あの斜めっている侑士がそう言うくらいだから、きっと大概の人間にはもっとで、いるかわからないけど自分みたいなタイプには、宇宙規模で難解なんだろう。自分が人より割増で鈍感な自覚が、謙也にはあった。けれど謙也は白石と出会ってから、彼を難解だ、と考えたことがあまりない。易しくないことくらいはわかるし、難儀な奴だと思ったことはあるけれど。そういう、謙也の踏み込んでものを考えない性質を、才能やと呆れたのは後輩で、残酷だと苦言を呈したのは侑士だった。
白石は、そういえば初めから何も言わなかったなと思う。



あんなあ、謙也、と、ぼうっとしたまま白石が言った。何や、と返事だけすると、白石はやっぱり窓の外を眺めたままで、「告白してもええ?」と無感動な声で尋ねてきた。告白。反射的に浮いたサブイボを庇うように身を縮め、「え、何、お前俺に惚れとったん」と恐々伺うと、アホか、ちゃうわ、と若干力の戻った声で否定された。ああ、よかった。他の誰が言おうと冗談なのに、白石が言うとちょっと洒落で済まない、という類の言葉は確かに存在する。そういえばそのあたりも、白石はいつも確信犯的に浮いていた。


白石がこちらを向いた。透明だけど、不透明な目。白石の目には力がある。目だけじゃない、声にも動きにも力がある。だから白石のすべてに、観衆はみんな心を奪われる。テニスだけの意味じゃなくて、もっと広く人生的な意味で、白石はそういう存在だった。でも同時に人はみんな、白石の何かに圧倒されて下を向く。白石は超越している存在だと、パーフェクトだと、どこかでみんなが匙を投げる。だってそういうポジションの方が、考えるのが楽なのだ。そうじゃなきゃ説明がつかない。あるのかないのか、いいのか悪いのか、優しいのか冷たいのかがわからない理由が、見つからない理由にならない。だからあいつはパーフェクト。白石だから大丈夫。いつだって、彼への評価は放棄に似ていた。


どうでもいい、と謙也は思う。ええやん、白石が天才でも神童でもバイブルでもエクスタシーでも、宇宙人だったらそれはちょっと驚くかもわからんけど、でも、別に何だってええやん。そんな風に、謙也だけが考えていることを、謙也は知らない。自分が人より割増で鈍感な自覚はあったが、自覚は自覚以上のものにはならない。それが生む結果とか、結末だとか、たとえばそれが誰かを救うこと、誰かを引き付けるということに、謙也はきっと永遠に気が付かない。



「あんなあ。俺、お前が千歳にレギュラー譲るって、わかっとったんや。わかっててお前んこと、ダブルス1にした」



白石が言った。驚いて、謙也が顔を上げる。白石は不透明な目で、じっと謙也を見ていた。久しぶりに目が合った、と感じた。



「お前の性格わかっとったから、お前をあそこに置いた。俺やオサムちゃんじゃ千歳が絶対に戻ってこんことわかっとったから、お前にやらせた。あれがお前の中学最後のテニスになるかもしれんってわかっとったのに、勝てる可能性が1番高い方に転がるダイスを、俺は振った。俺がお人良しのお前騙して、レギュラー捨てさせたんや。揚句、そこまでやっといて、結果はこのザマや。ほんまに、目ェも当てられへん」



何も言わずにいる謙也に、白石は訥々と、流れるように話す。言葉を切って、小さく、けれど深い息をひとつだけついて、最後に、これが告白や、と、疲れたように下を向いた。不透明な目が前髪に覆われて隠されるのを、今度は謙也がじっと見つめる。白石は動かない。断罪を待つように、じっとしている。窓の隙間から、晩夏の風が白石の髪を揺らした。サラサラのキューティクル。ビシバシに傷んだダメージヘアの自分とは違う。透明だ、と感じる自分が可笑しくて、謙也は笑った。従兄弟でもあるまいし、ガラでもない詩人っぷりだ。
笑う謙也を、予測していなかったのだろう。白石は驚いたようだった。何か言いかけて、口を開こうとした彼を遮って、謙也は「よっしゃ、」と言った。あんまりにも、それはいつもと同じ声だった。




「よっしゃ白石。聞いてええか」
「―――何や」
「もし、もう一回、今のメンバーで青学と当たるとしたら。お前、次のオーダー何にしよった」




謙也の問い掛けに、白石が顔を上げる。侑士流に言うなら「隙がわからない」、あの笑いもせず、怒りもせず、泣きもしない凛とした部長の表情で、彼は少し黙ってからまっすぐに、「変わらへん」、と言った。微塵も揺らがない。何度やり直せたとしても、何度だって繰り返す。彼は部長で、完璧であることを望み望まれている。でもそれ以上にずっと前から俺達みんな、きっと勝とうと決めていた。だからこそ。

何がバイブルでエクスタシー!ちっとも難しくなんかあらへん。だから難儀だと言うんだよ。お前はただ、勝ちたかった。たったそれだけの話じゃないか。









謙也は笑った。笑って、そして迷った様子もなくただ短く、「おおきに」、とだけ言った。本当に、ただ落とした消しゴムを拾ってもらった程度の、飴玉ひとつわけてもらったくらいの、そっけない礼。日常に寄り添うように、自然な風景に紛れるだけの言葉。だけど君よ、僕の友達。勝とうとしてくれてありがとう。君が君の中の何かを裏切ってでも、勝利を目指してくれたことに礼を言う。それは俺たちが確かに隣で、同じものを見ていた証になるのだから。













白石は、彼にしてはとても珍しい、虚を衝かれた隙だらけの顔をして、それからにわかに、「謙也はお人好しにも程があるわ。あと、鈍感」、と呻いた。ミスター・パーフェクトらしくもない、拗ねた子供のような響きがかわいくて、謙也はまた笑う。デコピンを食らわし、「白石が難儀すぎるねん」、と軽口を叩いたら、「好きで難儀に生まれたんとちゃう」、とむきになった声が滲むから、謙也は彼が彼の友にいつもするようにその肩を組んで、そうしてよそを向いた。窓から風、夏の終わり。あるのかないのか、いいのか悪いのか、優しいのか冷たいのかがわからない。どうでもええやん。だってこいつは、俺の友達。






(fin)










あとがき


「好きで難儀に生まれたんとちゃう」、という白石の台詞が書きたくて作りました。白石は賢くてなまじ完璧なだけに、人として損をする子のような気がします。普段はそれはそれでしゃあない、って思ってそうだけど、ふとした拍子に表出してくるミスター・パーフェクトのコンプレックス。謙也はそういう白石のことを本能レベルのところで察してて、普段はニブチンだけどここぞという時にはちゃんと助けてあげられる友達だといい。謙也に夢を見すぎている自覚はあります…。