折り入って相談があるんやけど、と、彼らしくもない神妙な様子で切り出されて、白石は虚を突かれて瞬いた。全く取るに足らない、部活帰りの帰路の途中。どこをどう取っても、話の流れ的に唐突だったせいもあるし、彼が、謙也が白石に相談事を持ちかけてくるという意味でも、十分驚くに値することだった。
単純明快で明朗快活、よくも悪くも空気を読まず、意図せず他者の領域にいとも簡単に飛び込んでくるきらいのある謙也は、しかしああ見えて割にプライドが高い。テストの点が上がらないだの、宿題が終わらないだの、もっとモテたいだの、軽口に近いぼやきごとならいくらでも吐き出すけれど、内面に根ざした切実な悩みごとなどは、概して口を割らないほうだ。あっけらかんと笑う笑顔の向こうには、苦しみや、悲しみの気配さえ伺わせないので、彼の周囲の人間の大多数が、謙也には悩みも迷いもないものだと思い込んでいるけれど、こいつそこまでアホとちゃうねんで、と知っているのは、共有する時間の多い白石だけの特権だ。そんなふうに、日ごろ自分が抱いている微かな優越感など露知らず、謙也はいつだってやっぱりのんびりと、誰にでも底抜けに明るく笑うのだけれど。


けれど、今目の前にいる謙也といったら、もう見るからに悩んでます、といった風体で、眉間に皺がより口元はこわばって、だからこそ白石は、少しばかりスウ、と息を吸い込んで、静かに強く奮起した。誰にも悩みを見せようとしない謙也が、今自分にだけは、何かとてつもない大切なことを打ち明けようとしている。それなら頼られてやろうじゃないか、というのが、この時の彼の思考だった。ありていにいえば、ちょっと張り切っていたのだ。


「どないしたん謙也、ひどい顔しとるで」


わざと意識しながら軽口を叩き、けれどやんわりと笑って、白石は話を聞くよ、という無言のアピールで歩みを止める。つられたように足を止めた謙也は、「ああ、うん…」と心ここにあらずといったふうに唸った。重症らしい。それから俯き、ぼそぼそと、不明瞭な声を絞り出し始める。いたんだ金髪の隙間から覗く表情は、打ち明けるのに苦汁を伴うのか、しかめっ面が先ほどの3割増になっていた。


「あんな、白石。こんなん打ち明けるの、なんやめがっさ恥ずかしいねんけど」
「うん」
「えーと…なんつーか…その…」
「うん?」

白石は、尻すぼみになっていく謙也の言葉の続きを、敢えて彼から視線を外し、辛抱強く待った。耐え忍ぶ事は慣れている。彼らの横を通り過ぎた自転車の中年女性が、いぶかしげな目線をひとつやってから、小さくなっていくのが見えた。その背中がもう、いよいよ本当に見えなくなるまで待った頃、遠くを見つめたままの白石の耳に、ようやく、謙也からの呻くような声が届く。いわく、







 






「あの、手つないでもええ?」












「……………は?」
心の底から、白石はそう言った。思いのほか冷たい声が出てしまって、謙也の顔がみるみるこわばっていく。あ、なんか悪い風に取りやがったなこれ、と気付いたけれど、それより何より、内容が内容だから致し方ない、と思う。心なしかいまだ冷たい声のまま、白石は口もとを引き攣らせながら言葉を続けた。


「なん言うてんの、自分」
「ああ、いや、うん、せやかてほら俺ら、付き合い始めたんに、こう、今までとなんも変わりあらへんやんか。せやから、ちょ、ちょっと魔がさしたって言うか…いや、忘れてくれてええし!白石がそういうんないわって言うんなら、別に俺はなんつーか、」
「いや、別にないわって言うてるんとはちゃうけど」


べらべらと言い訳を流したてる謙也に、再度度肝を抜かされた勢いで、素のままの抑揚のない声で答えてしまい、あっしまったと思う。同時に、謙也がバッと顔を跳ね上げた。笑えばいいのか怒ればいいのか泣けばいいのか、複雑に入り混じった微妙な顔だ。圧倒されて、白石が一歩無意識に下がったのを追いすがるように、案の定許可が出たとと認識したらしい謙也は一歩前に踏み出し、そして音速の勢いで、その手で白石の空いた右手を取った。ぎゅう、と握られる。うわっ、と、また素のままの声が出た。お前犬かよ。ていうかこいつ、公道で何を考えとるねん。今はたまたま、あの自転車のオバチャンを皮切りに人通りがないからええけど、クラスメイトとかに見られたらどう言い訳する気や。つか、痛い。どんだけ力籠めとんねん!

無表情のまま、ただ口の端だけをひきつかせて硬直する白石と対称的に、謙也の顔は真剣だった。じっと、まるで試合に挑む時のように切実な目線で、掴んだままの白石の制服の腕を見下ろしている。沈黙が痛いほどになり、さしもの辛抱強い白石も音を上げようとしたころ、ようやく謙也が呟いた。ポツリと落とすように、まじめな声で、







「手、でかいな…」








ゴッ、と、鈍い音。「クワッ」とニワトリのような声をあげて、たまらず謙也が頭を抱えてしゃがみ込む。空いているほうの左手で、白石が謙也の脳天に一撃をくらわせたからだった。つい本気になって、手加減する余裕がなかったから、当然だろう。優男の風体だが、白石はこれで部内で3位に入るほどベンチプレスが強い。けれどあんまり力が強すぎて、チョップを形作った白石の指もにわかに痛みだした。しまった、蹴りにしておけばよかった。明日からのテニスに響いたら、こいつほんまにどうしてくれよう。


「い、痛いやんけ…」
「あったりまえや、デカイ手で殴られればそりゃ痛いやろ。女ちゃうねんからそんなん当然やろが」


涙ぐんだ、うらめしそうなぼやきに、冷たい声で緩急なく言いきってやれば、ぐ、と謙也の肩が揺れる。そのしゃがみこんだ金色のつむじを見下ろしていたら、なんだか先ほどまでの高揚感と打って変わって、むなしいような気持ちが、白石の胸中を占拠しはじめた。大きな手、当然だ。だって白石はテニス部の部長で、部の勝利を先陣立って率いていくべき存在なのだ。そんな男の手が小さくってどうする。たよりなくてどうする。そんなのは部長として、完璧として、聖書として絶対に正しくない。

だいたい、今更わかりきったことを、何だ。自分は、男なのだ。女のようにかよわく、優しいいきものなんかじゃない。甘く愛らしくひかえめで、胸もふくよかな体もない、そんな白石を好きだと、欲しいと言ったのは誰だと思っているんだ。絆されてやった自分が馬鹿みたいじゃないか。









「わかってて付き合うたんやろが」










それは、誰に向けて言った言葉だったのか。はき捨てて、ぷい、と顔を背け、白石は、バカバカしいと、先に帰路を立って歩き出す。ほうけたような数秒の空白の後、「いや、ちゃう、ちゃうねんって、白石!!!!」と、慌てたような声が追いかけてきた。さすが、浪速のスピードスターとかふざけた名前を名乗るだけあり、加速度が速い。むきになって、白石も歩く足を速めた。「ちょっ、おま、」、と舌打ち混じりの声がして、追ってくる足音も速くなる。しまいには、競争だ。振動に揺れるラケットバッグの中身が、悲鳴のような音をたてて騒音となる。しまった、こんな日に限ってローファーで来てしまったと、いまや全速力となった白石は無言で舌打ちした。対して、謙也はいつもシューズのまま登下校している。こんなところでハンディか、と苛立ちもあらわに走る白石の、すぐ後ろまで近付いてきている足音。悔しさと、それから少しの恐怖に駆られて、息が乱れる。
苦し紛れに、帰路と外れた路地を曲がろうとしたところで、けれど電柱の陰にちょこんと坐していた野良猫に気付き、白石は慌ててぎゅ、と急ブレーキをかけた。ぎゃあ、と声をあげて、勢いを殺しきれなかった謙也がその背中に突っ込んできたのはすぐだ。がつん、と豪快だけどシンプルな音をたてて、謙也の鼻骨が白石の肩甲骨に激突する。あんまりにも痛いのと、衝撃を受け止めきれなかったこともあり、ふたりは仲良くその場に崩折れた。突然の目前の衝突事故に驚愕したらしく、野良猫がフギャアと鳴いて逃げていく。なんというか、ものすごくまぬけだ。人生で最大に間抜けなワンシーンかもしれない、と、白石はかがみこんだまま心中で独白した。


「うう、は、鼻折れたかもしれへん…」
「……折ってまえそんな鼻。男前度が増すで」
「白石ひっど!いや、ちゃうねん、そんな話がしたいんとちゃうくて、」


謙也の声がふいに真剣味を増したから、白石は眉をひそめ、けれど息をのんで、立ち上がろうとした。が、一歩遅く、それはかなわない。謙也の手が、いつの間にか再び、きつく白石の右手を掴んでいたからだった。絶対に離さない、というふうに。


「行くな。聞けや、話」
「………なんやねん」


あきらめて、けれど表向きは冷たい顔のまま、白石はしぶしぶと再び腰を落とす。なんで路地裏で、こんな鼻っつら突き合わせて真面目な話をしなきゃあかんねん。むっつりと黙り込んだまま俯いた白石の耳に、決然とした謙也の声が飛び込んだ。



「俺な、白石の背中に惚れたねん」


また、唐突。大概の場合でそうだが、謙也の話の切り出すタイミングはいつでも速攻で前後の脈絡がない。――脈絡がないのに、心を掴んでくるから、不思議だ。白石は内心の動揺を決して見せまいと、平静な表情を取りつくろった。ポーカーフェイスは慣れている。絶対に謙也にはばれないはずだ。肩をすくめ、横を向く。


「いきなりやな。そんで?」
「や、今は、流石白石や、って感じで全部が全部に惚れとるけど、最初はな。白石の、テニスしとる背中を好きになってん。お前の、勝ちたいっちゅー声がようさん聞こえてくる感じが、好きや。お前、正面から向き合うと、あんま勝ちたいとか、ほんまに言いたいことはよう言わんし」
「……そうか?」


謙也の言葉の意味は、わかるような気もするし、わからないような気もした。彼は究極に鈍感な面と、時折驚くほど鋭敏な面があり、それを矛盾なく抱き合わせて持っているところのある男だ。彼の見ている白石蔵ノ介が真実なのか偶像なのか、それは他ならない白石自身にとっては、最も判断しかねるところである。偶像なら偶像で構わないけれど、それでいて裏切られた、という顔をされることだけは、白石は御免だった。だから殴ったのか、俺は、と、まるで他人事のように白石は考える。付き合っているという事実に浮かれて、ていよく女の偶像を自分に押しつけやがって、と?

黙り込んで、思考に耽っていると、そんな白石の心情を永遠に悟らないのであろう謙也が、迷いのない声で続ける。明るい声で、その逃れようのないまっすぐな声で、何を言う気だ。無表情のまま、かたく身をこわばらせていた白石の手を、ことさら強く握って、謙也は笑った。
















「せやから、俺、お前の手もめっちゃ好き。でかいとこも、豆だらけなんも、ごつごつしとるんも、あと包帯を毒手って言ってまう残念なとこも好きやで。やって、これが俺らの部長の手やねんもん。部長のお前に、俺は惚れてんねんもん」














本当に、心の底からはっきりとした声で言いきられて、―――うっかり、言葉が詰まった。文字通り、喉に詰まったのだ。驚きすぎて、いきなりすぎて、ぐ、と息が出来なくなり、ぶは、ごほ、とむせこむと、謙也はギャッと喚いて、慌てたように白石の背中をさすり始めた。なのに、右手だけは離そうとしない。どれだけ切羽詰まってるねん、こいつ。つーかほんまに馬鹿みたいや。何やっとるんやろう、こんな場所で、俺も、こいつも。いくら路地裏って言うたかて、公道やで、ここ。謙也とおると、およそ聖書らしくない行動をしなければならないときが増える気がする。絆されている。全く以って絆されている。どうして。

















どうして、こいつといると、全部がこんなに



















「白石?大丈夫か」
「…アホちゃうんかお前。男の俺を、そんな台詞で口説いてどうすんねん」
「え?そら、口説くわ。俺はお前に惚れてんねんから」


謙也のおそろしいところは、こういうことが他意なく言えてしまうところだ。今のも、別に狙って言ったわけじゃないだろう、それを証拠に、心配そうにはしているけれど平然としている。だから、動揺するのはお門違いだ。いちいちグラついたり、振り回されたりするのは、全く以って、お門違いだ。
白石は、無表情になり、少しばかり俯いて、それから力を込めて謙也の手を振り払った。あ、と慌てた声が、追いすがってくる前に立ち上がる。そして、謙也の背中に膝を乗せ、続かれるのを阻止した。柔軟体操の風体だ。そのまま力をこめると、ぐえ、と、つぶれた声が上がる。


「ちょ、し、白石、なんやねん」
「うるさい。黙って踏まれとけや。俺のことほんまに好きやっちゅうんなら、向こう10分このままでいろ。その間に俺は一人で帰るから、お前はこの場でスクワット30回。土手の走りこみと腕立て50回」
「ハッ!?ちょ、なんやねんそれ」
「本望やろ?自分、こういう俺に惚れとるんやから」


顔を見ないまま、揶揄するように言いきると、つぶれたカエルのような謙也が、ひととき黙りこむ。次いで、至極悔しげな声が、「あかん、どんな顔で言うてんか、めっちゃ白石の顔見たい…」とぼやいた。は、と馬鹿にしたように笑って、膝をどける。また、許可が出たと思ったんだろう、犬のようにすぐさま顔をあげた謙也は、しかし、念願の白石の表情を見ること、あたわなかった。あんまり距離が近すぎて、ピントがぼやけたからだ。だって、








だって、






















「奪ったもん勝ちや。ごちそーさん」


ぺろり、と唇を舐めてから、ほうけている謙也を置いて、白石は即座に身をひるがえし、路地裏を出る。ちょっと、かっこつけすぎたかな、と思ったけれど、すぐにどうでもよくなり、悠然と、またもとの帰路を歩き出す。だって向こう10分、あいつは俺を追ってこないはずだから。男同士なんだ、別にムードがあるとかないとか、関係あらへん。どうだっていい。ただあいつが俺を好きだというから、部長で完璧で聖書な俺を好きだというから、ちょっと絆されてやっただけだ。そういうことにしてやる。そういうことで結構。
立ち去ったはずの路地裏から、笑えばいいのか怒ればいいのか泣けばいいのか、複雑に入り混じった遠吠えが響いてくる。なんとかの遠吠え。え?ああ、うん、そう、俺が優位。俺が許してやっただけ。俺の勝ち。せやから、ガラでもなく顔が熱い気がするのも、きっとただの夕焼けのせいだ。



(fin)




あとがき



白石お誕生日おめでとうございました!ぽんぽんと、軽いタッチで書きたかったのだけど、失敗した感がいなめませんえん。男の子同士の意地と沽券と、ほだされちゃう情と恋愛の力の入り混じったところが好きです。バランス配分がカップリングによって違って楽しいです。こんなだめだめモチ子の作品でも、ここまでお読みくださりありがとうございましたあ!