夜が明ける ふさいだ嘘の透き間から光がもれる
僕は告げる わかれを告げる 僕はもう旅立つ
どうしてだろう わからない でも このままじゃいられないんだ
ずれてしまったんだ いつの間にか つまるところ僕が
君が望むようなふたりになれそうにない 永遠などきっとここにはありはしない
やがて来る朝に本音は透かされるから ごまかせないよ
そろそろ ドアを開けなきゃ
夜が明ける かわいた心 からからと泣き出している
君に告げる わかれを告げる 闇と光が出会う前に
決まってたんだろう 答えならもう この胸の中ずっと
わかってるんだよ 悪いのは僕だよ 眠る君 胸をえぐる
空に伸びる薄紫色の雲は とどまることなく変わり続けて
繰り返す朝は僕らを飲み込むから その前に行くよ
そろそろ もう時間なんだ
痛いくらい互いにつらい いっそフライハイ!
それでもまだ 今は振り返れない
夜が明ける かわいた心 からからと泣き出している
君に告げる わかれを告げる 闇と光が 出会う
夜が明ける ふさいだ嘘の透き間から光がもれる
僕は告げる わかれを告げる 僕はもう旅立つ
僕はもう 旅立つ
秦基弘さんの「夜が明ける」という歌です。ぼたもちの中での千歳のうた。千歳が単なる「ふらふら旅するのが好きな子」、というわけではなく、「旅立たずにはいられない子」だと考えたなら、それはそれで萌える、というお話です。
ぼたもちは謙光のほかにも四天ではちとくらが好きなんですけど、初めてちとくらというカップリングに出会ったとき、どうして千歳はいつもふらふらどっかにいってしまうのか、どうしていつまでも四天に根付いた気配がないのか、白石のことを好きだというならそばにいてやらないのはなぜなのか、というのが理解できず、なかなか深く踏み込めないでいたのですが、この歌と出会ってから、千歳の中で恋や愛に「もう時間だよ」っていう門限がある、と考えるのもありだなあと思うようになりました。本当にそのひとのことを好きになってしまったり、離れられなくなってしまったり、依存してしまうのがこわいから、漂っていたいから、なくすのがこわいから、そうなる前に「もう行かなくちゃ」っていうのがなんとなく聞こえてしまう、旅立たずにはいられなくなってしまう、そんな千歳ってよくないですか。いや、いい。(反語)
彼が「そう」なってしまった決定的な出来事は、橘さんとの急激な別離にあると思います。いつもつるんでた大好きな友達が、自分の目を奪ったことを気に病んで、ある日急にぽっかりいなくなってしまった、ということが、日頃は泰然としている千歳の中で、心の根っこを揺るがすほどの大きな出来事だったとしたら、あの仙人然とした彼のキャラクターにも、急に人間味が増す気がします。自分は目なんかどうだっていいのに、どうだっていいからこそ今までみたいに一緒にいたかったのに、何を言っても何をしても、戻ってきてくれない場所や存在があるということを知らしめられて、でも認めたくなくて、自分の中の時間を止めてしまうしかなくて、止まった時間の空白を埋めるためにいろいろなところをふらふらするけど、でも本当は代わりになるものなんてあるはずないこともどこかでわかってるから、無為な漂流は歯止めがきかず無為のまま、それっきり彼はなんとなく世界を「外側」から見るようになったのでは……という妄想。もともと細かいことにとらわれない悠然とした気質だったのが、それをきっかけに自分自身のことさえもなんとなく外側扱いになって、ますます仙人じみるようになったと考えると、ちょっとパラドックス。ちなみに無我と出会ったのはその頃だと推測してみたり。
そしてそれ以来、少しでも「内側の時間」が動き出しそうになると、「もう行かなくちゃ」ってブレーキがかかるようになり、誰かに例えば愛されても、それでもごめんね、変わるのがこわいから、俺は行かなくちゃいけないよ、と、朝が来る前にそっと次の場所へ旅立つようになったとしたら、もえる。あの漂流気質こそが千歳の浮世離れ感を知らしめているのに、裏を返せばちょっと臆病で、ずるくてさびしいただの男の子だっていう矛盾がおいしい!と思うんですハァハァ。そして旅立たずにはいられない自分の罪深さをも、きちんと自覚していながら治さない、治せないのであろう千歳がまたいい。たまらん。
ちとくらのことを考えるとき、わたしはやっぱり自分が女だからなのか、どうしても白石側からものを考えてしまいがちなので、白石を置いてふらりとどこかへ消えてしまったり、のらりくらりと本音をはぐらかすような態度でいる千歳のことを、憎たらしく思えたりもするのですが、でももしそういう「曖昧さ」が千歳にとって千歳の中の「何か」を支えるすべだったとしたなら、なんとなく恨み言を言うための言葉を飲み込まざるを得ないなあ、と思います。そしてそれは、頭がよくて誇り高く、何より千歳を大切に思っている白石の立場なら、なおさら言えないんだろうなあ。この歌にあるように、夜明け前に黙って部屋を出て行ってしまう千歳のことを、ベッドの中でじっと息をひそめ、目を閉じ、感覚だけを研ぎ澄まして追いかけている白石を想像するだけで、核爆発するくらいせつないです。そしてまた、寝たふりをしてくれている白石に千歳が気付いてたりするとなおせつない。
でももしこんな調子のままだと、わかっててふらふらする千歳、わかってて言えない白石は、永遠につかず離れずで幸せになれなくなってしまうので、(そんなのやだ!)最終的なちとくらの幸福帰着店を考えよう!!と奮起した結果、ちとくらのゴールは「千歳が白石に“行かないで”って言う瞬間」ではないかと見ました。飄々としているキャラが、今まで自分の使ってた手段でドギモを抜かされる、というシチュエーションが好きなんです、すいません!ちなみにぼたもちはこれをよく「ポカンもえ」といいます。余裕ぶってる表情が、意表をつかれてポカンとさせられる、という状況のことを指します。ぼたもち語。
どっか行っちゃう・ふらふらする・漂流する、がお門の千歳が、上記の具合で罪深い旅立ちと帰還を幾度か繰り返し、はたちをこえたころ、おうちに帰ったら待ってるはずの白石がいなくてぶったまげる!という急展開から、物語は始まります。最初はそのうち帰ってくるたい、とタカをくくってるんだけど、何日経っても白石から音沙汰がなくて、ようやく探しに出るもののどこにもいなくて、誰に尋ねても見つからなくて、そのうちどんどんリアルな不安にさいなまれていく千歳。視界が半分になってしまった、大事な友達を失ってしまった、何年も前の夏の日のことがまるで昨日のことのように鮮やかに思い出されて、彼の背中をつめたいものが走ります。中学の頃からなんとなく一緒にいるけど、お互いに好いた惚れたは全然言わないし、もうぶっちゃけとどのつまりただのセフレ、みたいな状況を何年も続けてきた自分と白石が、なんでこんなにいきなりシリアスな展開に、と焦る千歳は、白石がいなくなったことでようやく、そういう関係を続けていられたのは、白石の無言の許容があったからなんだということに気が付きます。っていうか、最初こそそんなもの全部わかってて甘えてたはずだったのに、いつの間にかそれを見失い、どっぷりと白石に依存していた自分に気が付く感じ。かつて自分が橘を失ったとき、あんなに恐ろしく、空白で、ひとりぼっちな気持ちを味わったというのに、自分は一体白石に何をしてきたっていうんだろう。あの空白を思い出すのが怖いから、その恐怖をそっくりそのまま、白石に押し付けて逃げてきただけじゃないか。世界を外側から眺めていたはずの自分が、いつの間にかとっくのとうに白石という世界の内側の住人になっていたことを、千歳はようやく自覚するのです。そしてそれって、もうれっきとした恋だよねっていう。この自覚が、ちとくら転換点の第一歩!だとおもう!
自覚してからの千歳は強いと思います。めっちゃ本腰入れて探し回るよ!このあたりはあんまり決めてないけど、人海戦術なり才気煥発なりを駆使しまくって、でも最終的には中学生の頃に何気なくふたりで話してた、どっかの海辺あたりで白石はあっけなく発見されるといいです。(本当に何も決めてないのがまるわかり^^)テトラポットに腰かけて、ぼんやり海を眺めていた白石は、走って自分をつかまえに来た千歳を、例の隙のない笑みでもって振り返って迎えて、「あ、思い出したん?」ってなんでもない口調で言いそう。でもそれを言い終わるか言い終わらないかの内に、ガバー!!!って白石を抱きしめる千歳。ぎゅうぎゅうに力を入れて抱きしめながら、白石のさらさらの髪のかかる首筋に顔をうずめて、「どこにも行かんといて」、ってよわよわしくぼやきます。俺のこと、外側にしないで。時間を止めてしまわないで。俺を置いていってしまわないで、と。
そしてそのセリフの直前まで、全部予想の範囲内、みたいな余裕の顔でいた白石は、その言葉を聞いた途端にその表情のまま、ぽろっと泣いてしまうといいと思います。遅いわ、と思いながら、でも踏み出そうと思えば踏み出せたはずなのにそうしなかったのは自分も同じ、とわかってるので(このあたりはまたいろいろもやもや考えてるので、いつか日記にしたいんですけど!)何も言えなくて、結局「うん」、とだけ答える白石。あの白石が、千歳のことになると言葉も行動も急にぶきっちょになる、っていうのが、ほんとたまらんもえです。そしてこれが、ふたりの時間がつながりあった最初の瞬間で、ちとくらの最終帰着点。なげえ。
気持ちをお互いに認識しあう、ということまでが、ちとくらの恋とか愛の過程だと思うんですよ。好きだってお互いがお互いに認めるまでに、ものすごく時間がかかるふたりだと思う。そのかわり、認め合ったら超つよい。絶対ゆらがなそう。謙光だったらたぶん、付き合ってからも端々でいろいろぐらついたり揺らいだりしそうなんだけど、ちとくらはそういうことこそがなさそうです。謙也と財前は基本的に直球キャラなので、気持ちを誤解して受け取ったりもめたり駆け引きしたり、ということにおいてはさほど難儀な印象がないのですが、千歳と白石に関しては大人のずるさと臆病さがあるので、紆余曲折、がほんとに紆余曲折の限りを尽くしそうで、そこが面白いですよね。その代わりくっついたら芯は強いという。どっちもおいしいです。どっちも愛しい。あーしてんばんざい!!
長かった!予想以上でした。最後までお読みくださったかた、ありがとうございました!!